糸満市で「ナポリを超える」ビックリ体験【1990年ワールドカップと沖縄おばぁを結ぶミステリー】(2)

AI要約

後藤健生は海外取材で現地の食を楽しむ貪欲なスポーツライターだが、イタリア語が通じなかった謎を抱える。

ナポリでは方言や歴史的背景がイタリア語の理解に影響を与えていた可能性が考えられる。

沖縄の琉球語とのコミュニケーションも困難だった経験が示すように、言語の違いが会話の理解に大きな影響を与えることがある。

糸満市で「ナポリを超える」ビックリ体験【1990年ワールドカップと沖縄おばぁを結ぶミステリー】(2)

 蹴球放浪家・後藤健生は貪欲だ。海外取材に行けば、その地の食を積極的に楽しむ。よりよいものを求めるために有効なのが、現地の言葉を学ぶこと。ワールドカップ前の有益なエネルギーの使い方だ。

 しかし、不思議です。なぜ、僕のイタリア語はナポリでは通じなかったのでしょうか?

 たしかに、イタリア南部には方言があって、言語学的には「ナポリ語」と呼ばれており、標準イタリア語(フィレンツェ方言を元とした標準語)とは違います。しかし、タクシー運転手が標準イタリア語を理解しないはずはないでしょう。

 もし、その運転手が南米のスペイン語圏からの出稼ぎ者であったとしても、当然、イタリア語は覚えているはずです。

 僕の発音が、よほど悪かったのでしょうか? その可能性はありますが、他の都市ではそんな経験はありませんでした……。

 中世のイタリアは、北部では多数の都市国家が互いに争っており、中部は教皇領で、南部はナポリ王国でした。そして、ナポリ王国はスペイン国王が支配していた時代も長かったのです。だから、スペイン語が通じたのかもしれません。

 30年以上が経過した現在でも、なぜあのとき、イタリア語が通じなかったのかは謎のままです。30年がたって、僕自身もイタリア語はもうほとんど忘れてしまいましたが……。

 そうそう、僕には言葉が通じなくてビックリした記憶がもう一つあります。

 イタリアに行くよりさらに数年前。沖縄県の糸満市を訪れたときでした。街を歩いていると、「おばぁ」2人にこう尋ねられました。

「今、何時ですか?」

 僕はすぐに腕時計を見て「何時何分ですよ」と答えたのです。

 すると、1人の「おばぁ」は僕が言ったのがわからず、もう1人の「おばぁ」があちらの言葉で通訳をしているのです。

「琉球語」は標準日本語とは大きく異なった言葉で、日本語の方言とするか、独立の言語とするか学問的にも定まっていません。しかし、たとえばイタリア語とスペイン語よりもその違いは大きいのではないでしょうか? 本来の琉球語話者と、たとえば江戸弁話者では会話は難しいでしょう。