597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の大噴火」のおぞましき威力

AI要約

「天明の浅間山大噴火」は、天明3年に浅間山で起きた大噴火の様子を生々しく伝える本であり、その悲劇を描いている。

噴火の前段階から始まり、多くの村々に被害をもたらした浅間山の噴火は、見物客を驚かせる大爆発を引き起こした。

特に北側の鎌原村は、火砕流が引き起こした「粉体流」により大きな被害を受けた。火砕流とは高温の岩や火山灰が猛スピードで山を下りる現象である。

597人のうち466人が死んだ…村を丸ごと破壊した「浅間山の大噴火」のおぞましき威力

〈火口から約四キロ、標高差一一〇〇メートルおりた所で、毎秒一〇〇メートルから一五〇メートルあったろうと推定される火砕流が、途中の土砂・岩石などをも巻き込みながら、量と勢いをまして、あっという間に鎌原村を襲い……〉

これは、学習院大学名誉教授で近世史の研究者である大石慎三郎氏による『天明の浅間山大噴火』からの引用だ。同書は、天明3(1783)年に淺間山でおきた大噴火の様子を生々しく伝える一冊である。

引用は、同年、旧暦の7月8日、浅間山が大爆発した直後に、浅間山麓にある鎌原村という村を襲った悲劇についての記述である。

この大爆発に至る、3ヵ月にわたる噴火は「天明の浅間山大噴火」としてよく知られている。

*

日本には、富士山、阿蘇山、御嶽山など、さまざまな火山が存在している。これらのうちには噴火のリスクをともなうものもあるが、実際に火山が噴火したときになにが起きるのかについて、私たちはなかなかリアリティを持つことができないのも事実だ。

そんななかにあって、私たちに生々しく、災害の恐ろしさを教えてくれるのが、過去の噴火、そして噴火による被害の記録である。『天明の浅間山大噴火』は、天明の浅間山大噴火の様子を、現代の私たちにもわかりやすく、生々しく描き出している。

1783年の4月上旬に浅間山の噴火は始まった。断続的に中規模の爆発がつづいていた。

周辺の村には火山灰や軽石がそうとうな高さに降り積もり、人々は、それらを処理する仕事に日々追われていた。

6月には大規模な噴火があった。周囲の村々には、やはり火山灰や軽石などの被害がつづいていた。

しかし、この噴火を楽しもうという者たちもいた。浅間山近くの人気の湯治場である草津温泉には、噴火を眺めようと、見物客が訪れるという状況だったのだ。浅間山頂からの明るい噴煙は、夜空を美しく染めていた。

ところが7月6日、状況が大きく変わる。

浅間山はさらなる大爆発を見せた。

湯治場の見物客もさすがにこの爆発にはおののいたのであろう、見物に出かける者はいなくなる。

そして7月8日、これまでにない大爆発が起きる。

『天明の浅間山大噴火』がとくにスポットを当てているのが、浅間山の北側に位置する鎌原村という村だ。この村は、冒頭で引用したように、8日の噴火の後、秒速100mを超えると考えられる火砕流……より正確には、その火砕流が引き起こした「粉体流」の被害を受けた。なお、火砕流とは、高温の火山灰や岩のかたまり、空気や水蒸気がまじりあい、猛スピードで山の斜面を駆け下りてくる現象のことだ。

〈火口から約四キロ、標高差一一〇〇メートルおりた所で、毎秒一〇〇メートルから一五〇メートルあったろうと推定される火砕流が、途中の土砂・岩石などをも巻き込みながら、量と勢いをまして、あっという間に鎌原村を襲い、余勢をかって現国鉄吾妻線万座・鹿沢口駅上の崖をこえて吾妻川になだれこんだ〉(同書58頁)