婚活、不妊治療の末、養子をわが子に ~産婦人科医が実践「産まない先の選択」~

AI要約

柴田綾子医師が40代を目前に結婚し、特別養子縁組で子どもを迎えるまでの過程を振り返る。

医学部時代から女性や子どもの支援に関心を持ち、産婦人科医として活動する理由を語る。

少子化社会の課題や血縁にこだわらない新しい家族の在り方についての考えを述べる。

婚活、不妊治療の末、養子をわが子に ~産婦人科医が実践「産まない先の選択」~

 「待っていても結婚できない」―。産婦人科医として多忙な日々を送る柴田綾子医師は40代を目前に一念発起して婚活アプリに登録し結婚。不妊治療の負担を経験し、特別養子縁組で子どもを迎えた。現在、夫と協力しながら仕事と育児に奮闘している。不妊治療の当事者となり、自ら育児を経験することで見えてきた少子化社会の課題、血縁にこだわらない新しい家族の在り方について心境を語ってもらった。

 高校時代、医者になりたいと思ったことはなく、医学部は受けてみたものの失敗し、情報文化学部に入学しました。旅が好きで大学時代はバイトざんまい、お金がたまると世界遺産を中心に各国を訪れました。発展途上国で目にしたのは、やせ細った子供たちと母親が物乞いをする悲惨な光景でした。貧困地域では経済的に弱い立場の女性と子どもが真っ先に犠牲となる。手に職を付けて女性や子どもを支援できないかを模索するようになり、医学部の再挑戦を決意し卒業後に編入学しました。医学部時代はフィリピンのヘルスセンターに母子保健の活動家に会いに行ったり、アフリカの電気が通ってない地域で医療支援を行うNGOの見学に行ったり、予防医療のボランティアとして海外での活動に参加しました。

 6年生の時に家庭医療(プライマリケア)に出会い、海外では一人の医師が赤ちゃんからお年寄りまで患者を生涯にわたって診る「かかりつけ医制度」があることを知り、感銘を受けました。また、産婦人科の病院実習では、医療で完全に管理できない「非医療」であるお産を目の当たりにします。患者さんを医療技術で管理することが医師の役割と考えていたのですが、妊娠・出産は、一人一人の経過が大きく違い、いつ何が起こるか分からない。医師が出産を安全に導くことの責任と重要性を感じました。プライマリケアと産婦人科医療を学び、女性の健康や生活を生涯にわたって支えられる産婦人科医を目指したいという方向性が固まっていきました。