「科学的な議論」と「非科学的な議論」は何が違うのか…たどり着いた「意外な答え」

AI要約

ユダヤ教徒である著者ヨセフ・アガシが、イェシヴァ中退後に哲学の道を選び、科学哲学の研究・教育に生涯を捧げた経歴を持つ。

アガシの青年期にイェシヴァを中退し、超正統派の衣服を脱いで哲学の探求に心血を注ぐ道を選択したことが、彼の人生を大きく変えた。

アガシは哲学者として真理を追求し、批判精神を持つ人物として知られている。

「科学的な議論」と「非科学的な議論」は何が違うのか…たどり着いた「意外な答え」

古代ギリシャの原子論から、コペルニクスの地動説、ガリレオの望遠鏡、ニュートン力学、ファラデーの力線、アインシュタインの相対性理論まで、この世界のしくみを解き明かす大発見はどのように生まれてきたのか?

親子の対話形式でわかりやすく科学の歴史を描き出した新刊『父が子に語る科学の話』。そのユニークな特徴や、著者ヨセフ・アガシをめぐるエピソードなどについて、訳者の立花希一さんが語った特別インタビューをお届けしよう。

わたしが初めて『父が子に語る科学の話』の著者であるヨセフ・アガシに会ったとき、かれはテルアビブ大学哲学科教授でした。青年期あるいは少年期に哲学に興味をもった彼は、哲学をする目的のために物理学が不可欠な手段だと考え、ヘブライ大学の物理学科に入学しました。その後、哲学科に転身したアガシは、助手、講師、助教授、教授へと昇進、定年退職後は名誉教授と、生涯にわたってひたすら科学哲学の研究・教育一筋の生活を送っていきます。

ある意味で「順風満帆」のようにも見えますが、大学入学以前・以後で、アガシの生活は激変したものと推測されます。アガシは十代の半ばに、「イェシヴァ(ラビ養成宗教学校)」を中退しました。アガシが入学した「イェシヴァ」は、改革派や保守派のラビ養成ではなく、「正統派」のラビ養成学校でした。正統派ユダヤ教の特徴は、613の戒律からなる「モーセの律法」の厳格な遵守にあります。正統派ユダヤ教徒たちは日常生活の隅々にいたるまでこの戒律を遵守した生活を送っています。このような生活の送り方は「俗生活を聖化」させるためだと言われます。

髭をたくわえ、もみあげを伸ばし、黒いコートと黒い山高帽を身につけたユダヤ人たちをテレビなどで見たことがあるかもしれません。正統派ユダヤ教徒は常に「キパ」という小さな帽子を頭に載せているので、一目瞭然です。アガシの育った家庭は、正統派のなかでも「ハレディーム(畏れる者たち)」と呼ばれる超正統派ユダヤ教の家庭でした。

「バル・ミツヴァ(13歳になった男子を祝福する成人式)を終えたアガシは父親の期待を一身に受けて、「ラビ」になるためにイェシヴァに入学したことでしょう。戒律を正しく解釈し、正統派ユダヤ教徒に伝授する役割を果たす宗教的指導者「ラビ」は、正統派ユダヤ教徒からの尊敬を一身に集める存在です。アガシの優秀さを鑑みると、果たせるかな「ラビ」の称号を取得し、前途有望な将来が約束された青年・成年へと成長し、さらにはクックのような主席ラビにまでなったとしても不思議ではないと思います。

しかし、アガシが選んだ道は違いました。アガシはイェシヴァを中退し、超正統派の衣服を脱ぎ棄て、正統派ユダヤ教の宗教的義務に服すのではなく、自律的な哲学の探求に心血を注ぐことを決意したのです。ピタゴラスの有名な定義で、「哲学者とは、地位・名誉・利得などではなく、真理を追求する者」というものがありますが、アガシはまさに「真の哲学者」だったといえるでしょう。彼の人生にとって、「宗教学校中退」という10代の選択は、非常に決定的なものだったと思います。そして、こうした変化にともなって、「批判精神」がパーソナリティーの重要な部分を占めるようになっていったと思われます。私が出会ったアガシは、そのような人物でした。