“美しすぎる射撃手(31)”に、16歳のスナイパー女子も…金3銀3のメダルラッシュを起こした韓国射撃の知られざるウラ側「競技人口は日本の半分」「報奨金3億ウォンが宙に…」

AI要約

パリ五輪で注目を集めた射撃女子選手キム・イェジの活躍を紹介。オーラ漂う姿がSNSで話題になり、イーロン・マスク氏も称賛。

田舎町出身のキム・イェジは結婚・出産を経て再び射撃に打ち込み、躍進を遂げる。母のプライドから大活躍を果たす。

感謝の気持ちを忘れず、両親や恩人に対する謙虚な姿勢が特筆される。

“美しすぎる射撃手(31)”に、16歳のスナイパー女子も…金3銀3のメダルラッシュを起こした韓国射撃の知られざるウラ側「競技人口は日本の半分」「報奨金3億ウォンが宙に…」

 ついに幕を下ろしたパリ五輪。17日間に及ぶ激闘の中で数々の名勝負とスターが生み出されたが、開幕早々に話題になったのは射撃女子10mエアピストルに出場した韓国のキム・イェジだった。

 凛とした射撃姿勢とクールな表情で正確に的を射抜いて銀メダルを獲得。スタイリッシュなオーラ漂うその姿が「カッコ良すぎる」とSNSなどで話題になり、彼女が今年5月のISSF射撃ワールドカップで世界新記録をたたき出した試合映像がX(旧ツイッター)で拡散された。

 その投稿があのイーロン・マスク氏の目にも留まり、「彼女(キム・イェジ)はアクション映画に起用されるべきだ。演技は必要ない!」と感嘆したこともあって、世界各地で話題となった。「映画『ジョン・ウィック』に登場しそうな殺し屋だ」「稀にみるクールビューティだ」といった賛辞が集まり、一躍、ワールドワイドな人気者になった。

 まさに大富豪の一声で一夜にして世界が注目するオリンピック・シンデレラになったわけだが、実際の彼女は腕利きのスナイパーでも都会育ちのスーパーエリートでもない。

 生まれ育ったのは、韓国のほぼ中央に位置する忠清北道(チュンチョン・ブクド)の丹陽(タンヤン)郡。人口3万人にも満たない田舎町で1992年9月に生まれ、射撃を始めたのも中学1年のときだった。

 18歳で韓国代表に選ばれ2010年世界選手権にも出場したが、その後は国際大会でこれといった成績を残せず、2018年から2019年4月にかけては韓国国内でも活動がない空白期間があった。

 当時26歳。キム・イェジはこのときに結婚と出産をし、選手生活を閉じることも考えたという。大会期間中に出演した韓国のラジオ局CBSのインタビューで彼女は言っている。

「人生は長く、他のことを始めるとしてもまだ遅くないという思いもあって、20代はいろいろとさまよいました。国内の大会に出てもどこか空しかった。そんな折に結婚と出産もあったので、射撃をやめようと思った時期もありました」

 そんな彼女にふたたびピストルを握らせたのは、“オンマ(=韓国語で母のこと)”としてのプライドだったという。

「娘が大きくなったとき、恥ずかしくないオンマでありたいと思った。もっと上を目指そう、目標を持とうと覚悟を改め、そこから狂ったように練習しました」

 実際、母になってからの彼女の躍進は目覚ましい。大韓射撃連盟の記録によると、2019年以前は団体戦のシルバーコレクターだったが、2021年頃からは団体戦はもちろん、個人戦でも優勝。

 2024年になるとアジア選手権など国際大会でも躍進し、5月には前述したISSF射撃ワールドカップで25mピストル世界新記録を達成。そして今回のパリ五輪で女子10mエアピストル銀メダルに輝いた。

「実家に帰って苦労をかけた父と母にメダルを見せたい。娘の首にもかけてメダルの重さも感じてほしい」

 帰国直後の記者会見でそう語ったキム・イェジ。孝行娘であり頼れる母になった彼女は自分を一躍有名人にしてくれた恩人への感謝も忘れなかった。

「イーロン・マスクさんがたくさんの人々に射撃を広めてくださったようで、感謝しています。足りない部分もあったはずですが、たくさん祝ってくれてむしろ私が感謝したい。ありがとうございます」