チェスや碁に続き「短歌」もAIが…?短歌をつくるときに「AI」をどう活用できるのか?

AI要約

短歌AIの開発について解説。AIと人間の関係性と幸福な付き合い方について考察。

短歌生成AIを用いた詩の比較から、AIと人間の相互理解を促す。

AIを自己理解の鏡として活用し、言葉の世界を広げる可能性について探る。

チェスや碁に続き「短歌」もAIが…?短歌をつくるときに「AI」をどう活用できるのか?

 令和の世で、空前のブームとなっている「短歌」。

 そしてもはや私たちの日常にも深く入り込んでいる「AI」。

 感情を持っていないはずのAIが、どうやって、まるで人のように短歌を詠めるようになるのか。そこで見えてきたAIと人との幸福な関係性とは? ーー〈短歌AI〉の開発に心血を注いできた気鋭の研究者・浦川通氏がわかりやすく解説する。

 本記事では、〈「AIと人間」の関係は「勝ち負け」しかないのだろうか? …〈短歌AI〉の取り組みから見えてきた「勝ち負け」にこだわらない「付き合い方」〉にひきつづき、AIとの付き合い方をみていきます。

 ※本記事は講談社現代新書の最新刊『AIは短歌をどう詠むか』から抜粋・編集したものです。

 「鏡」は、私たちが社会的な生活を送る上で欠かせない道具です。毎朝、学校や会社へ行く前に、鏡を覗くという人がほとんどでしょう。寝癖はないか、顔色は悪くないか、昨日飲みすぎたので浮腫んでいるな……と、他人と相対してやり取りをする前に、いまの自分がどのような姿なのかを確認する作業が、そこでは行われます。

 そして、鏡は正直です。例えば「寝癖があることを伝えたら、気分を悪くするかもしれない」といった気遣いや忖度といったものは当然なく、いつでもありのままのあなたをうつし出してくれるところに、ほかには代え難い価値があると言えるでしょう。

 一方で、自分の普段の言葉づかいがいったいどのように見えるのか、それを客観的に把握するのは、そう簡単な作業とは言えません。私たちは毎日の生活の中で無意識のうちにたくさんの言葉を扱い、特に音声によるやり取りでは、それは口から発せられた側から消えてしまいます。

 自分でつくる短歌を考えれば、ある程度意識的に言葉を置いていて、それがどんなふうに見えるのか、伝わるのかを判断している瞬間は多いでしょう。しかしそれでも、ある歌をつくった時の苦労や、そこで扱っている気に入った言葉の使い方など、思い入れが邪魔をして、なかなか客観的に自分の歌を見るのは難しいかもしれません。

 先ほど、人間である自分が考えている上の句から、言語モデルに下の句を付けさせる、といったことを試してみましたが、これは私の意図や人柄を知らない知性が続きを書いている、とも捉えることができます。これを応用することで、私が書いた歌を客観的に眺める鏡のような道具にする、そんな可能性もあるように思います。

 私は以前、「バニラ・シークエンス」という30首からなる連作をつくりました。この連作ではウィキペディア日本語版を学習した短歌生成モデル──つまりは無個性で一般的な言葉を用いて短歌を生成する装置を用意して、該当部分を明記した上で、一部そのモデル生成によって得られた歌を収録するといったことをしています。

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寂しさは言い澱みなくいっていい思い出すまで4人通過し

寂しさは言い澱みなくいっていい 気持ちやましく飾られている

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毒殺をはかられたことのない身体二つ並べて豆腐をつつく

毒殺をはかられたことのない身体 余生を送ることを望んで

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咳をする音の反射を聞くまでは水平だった駐車場の 2

咳をする音の反射を聞くまでは 音楽的に注意を払う

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 それぞれ、最初にあるのが私自身がつくった歌で、後に続くのが下の句をAIによって生成させた歌になっています。ここで私の歌とAIの歌を見比べてみると、なんだかシリアスになりすぎている(格好つけている、と言ってもいいかもしれません)私の歌に対して、AIの生成はそれを茶化している、はたまたツッコミを入れているようにも読めてきます。

 また、〈私〉がなぜAIのような下の句ではなく、〈私〉が書いた下の句をつくったのか、といったことを考えるきっかけを提供しているようです。つまり、AIの生成と自分の歌とを見比べることで、より〈私〉がどんな人間であるのか見えてくる、そんな連作になっています。

 〈私〉には私なりの拘りもあれば、また自分を狭い世界に縛る思い込みのようなものもきっとあるでしょう。それを解放させて、自分をより広い言葉の世界の中に位置づける。AIは、自分の歌、そしてそれをつくった〈私〉がいまどこにいてどのような姿をしているのかをうつす「鏡」の役割を果たすのではないかと考えます。