「トンデモ仮説」である「熱素説」を科学者が信じてしまったのはなぜ?

AI要約

熱力学第一法則について、カロリック説との対立から正しい理解への道のりが紹介されている。

物理学の発展において、熱と仕事の等価性が確認されるまでの歴史や、カルノーサイクルにまつわる誤解について解説されている。

熱素説からの脱却とジュールの貢献により、熱力学第一法則が確立された過程が興味深く説明されている。

「トンデモ仮説」である「熱素説」を科学者が信じてしまったのはなぜ?

物理に挫折したあなたに――。

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 大好評につき5刷となった『学び直し高校物理』では、高校物理の教科書に登場するお馴染みのテーマを題材に、物理法則が導き出された「理由」を考えていきます。

 本記事では熱力学編から、熱力学第一法則​についてくわしくみていきます。

 ※本記事は田口善弘『学び直し高校物理 挫折者のための超入門』から抜粋・編集したものです。

 『学び直し高校物理』「力学編」で紹介した「エネルギー保存則」を覚えているだろうか。位置エネルギーと運動エネルギーがお互いに変換することでその総和は保存する、という考え方だ。これに比べると、これに熱を加えたエネルギー保存則の拡張版とでもいうべき、

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熱力学第一法則

気体の内部エネルギー=仕事+熱

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 は確立されるまでに長い時間を要した。それは「熱素説」(カロリック説)という優れたライバルがその認識の前に立ちはだかったからだ。熱が「熱素」(カロリック)という物質であり、一種の保存量だという考え方は、いまとなってはトンデモ仮説であるが、19世紀半ばまではトンデモどころか、当時の第一級の科学者たちがこぞって支持した有力仮説だった。

 熱素説では、気体が膨張すると温度が下がるという現象は、熱素の濃度が薄まるからだ、と説明された。これに対して、熱力学第一法則では「気体が膨張するとき外部に仕事をするから、その分エネルギーが失われて温度が下がる」と説明される。

 後者が正しいと知っている我々からすれば、熱素なんてトンデモ仮説だと思ってしまうが、そもそも熱と仕事が等価だ、ということになんの証拠もない場合、後者のほうがトンデモに思ってしまうのも致し方ないだろう。

 有名なカルノーサイクルの理論も、なんと当時は熱素説に基づいて書かれていた。カルノーサイクルはフランスの物理学者サディ・カルノーの考えた、熱機関の熱効率が最大になる理想サイクルで、蒸気などが、高温と低温との間を等温膨張・断熱膨張・等温圧縮・断熱圧縮の4行程で循環するというものである。

 思考実験で、温度の異なる2つの熱源の間で動作する可逆な熱力学サイクルを説明するカルノーサイクルは、のちに熱力学第二法則、エントロピー(重要な概念だが難しいので本書では触れない)等の重要な概念の発見につながる端緒を開いたと言われる。

 ところが、カルノーは、この仮説を熱素説で説明した。熱素は高温熱源から低温熱源に流れる水のようなものだとされ、その「勢い」が水車を回すように仕事をする、としたのだ。したがって、熱素の量(つまり熱の量)は保存される。高温熱源からの熱と低温熱源への熱の量の差が仕事になる、という熱力学第一法則とは全然話が違っている。

 当時、力学は完成していたから「高いところから物体が落下することで仕事をするように、熱素が高いところ(高温)から低いところ(低温)に落ちるときに仕事をする」と考えたほうが当時の理解としては受け入れやすかったと思われる。

 いまの我々から見ると「熱は仕事と等価に交換できるものだ」ということは当たり前のように思えるかもしれない。しかし、たとえば、力学編の電気回路の重心の問題で議論した(『学び直し高校物理』Chapter1)ように、質量とエネルギーは交換可能という事実には(それが正しいにもかかわらず)違和感を覚えるだろう。

 当時の科学者からしたら熱と仕事というまったく外見が異なる2つのものが等価交換できるという考えのほうがよほど革命的で受け入れがたかっただろうと思われる。

 アメリカで生まれ、イギリス、ドイツで18世紀に活躍した物理学者、政治家であるランフォードが考えた、「仕事さえあれば熱はいくらでも生み出せる」という考えは、19世紀になって、より精密な実験でジュールによって検証される(後述)。

 外から与える仕事の量で、発生する熱の量が完全に決定するという定量的な実験がなされて、熱と仕事の等価性が確認され、ようやく熱素説は敗北することになるのである。

 それにしても、熱の根本を誤って理解していたカルノーの業績が、正しい熱の理解が確立した後もしっかり生き残り、熱力学第二法則やエントロピーという真理の発見につながっていったというのは、なんとも興味深い。

 物理学の歴史にはこのように間違って理解していたけれど結果的に(たまたま)正しいことを言ってしまった、という例は枚挙に暇がなく、それでも「最初に言った人は解釈が間違っていたから、後年正しい解釈をした人の業績にしよう」とはけっしてならないのである。

 たとえば、アインシュタインの特殊相対性理論に出てくる空間と時間を変換する式はローレンツ変換と呼ばれている。この変換式の「意味」を正しく解釈したのはアインシュタインであっても、式を最初に導出したのは別人のローレンツであり、すでに式に名前がついてしまっているので、「発見したのはローレンツだが解釈が正しいのはアインシュタインだから今日からアインシュタイン変換という名前にしよう」とはけっしてならない。解釈がおかしくても現実を正しく記述するルールを見いだせれば、それは法則の発見として後世まで語り継がれるものなのである。

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 【つづき】〈研究職に就いていない「在野の研究者」だったジュールの「大発見」とはなんだったのか? 〉では、「熱力学第一法則」の確立の立て役者・ジュールがどのように法則を導いたのか、くわしくみていきます。