スペンサーは「適者生存」を重視していなかった?…「社会進化論」を唱えたスペンサーは本当に冷酷無慈悲な人だったのか?

AI要約

進化学と進化論が生物学以外の分野に与えた影響について考察される。

「適者生存」の語が誤解を招き、社会的問題や倫理的議論に波及した経緯が示される。

進化論の概念が経済や社会、倫理観にどのような影響を及ぼしたかが述べられる。

スペンサーは「適者生存」を重視していなかった?…「社会進化論」を唱えたスペンサーは本当に冷酷無慈悲な人だったのか?

 ダーウィンを祖とする進化学は、ゲノム科学の進歩と相まって、生物とその進化の理解に多大な貢献をした。

 一方で、ダーウィンが提唱した「進化論」は自然科学に革命を起こすにとどまらず、政治・経済・文化・社会・思想に多大な影響をもたらした。

 新書大賞2024で10位入賞し、たちまち4刷となった、話題の『ダーウィンの呪い』では、稀代の書き手として注目される千葉聡氏が、進化論が生み出した「迷宮」の謎に挑む。

 本記事では〈じつは『種の起源』に「適者生存」は一度も使われていなかった…いつ「適者生存」はダーウィンの進化論の原理になったのか? 〉にひきつづき、「適者生存」についてくわしくみていく。

 ※本記事は千葉聡『ダーウィンの呪い』から抜粋・編集したものです。

 「適者生存」は、別の面で非常に誤解を招きやすい危険な用語だった。適者(この場合最適者)は、進化という用語と同様に、生物学的な意味合いと、日常用語での意味合いが異なっていた。

 生物学的な適者、つまり出生率と生存率が高いことは、必ずしも強い、賢い、といった性質とは一致しないのだが、人々は素朴にこの用語を、弱い者、愚かな者が排除され、強い者、賢い者だけが生き残る、というメッセージだと理解した。

 これを通して排除とサバイバルによる改善、という単純化された考えが、社会的な問題へと波及し、時代の進歩史観に合流する道が開けたのである。成功、貧富、教育、さらには道徳など、あらゆる人間的な要素が、むき出しの闘争と改善、そして進歩という目的に晒されることになった。

 ダーウィンの盟友であったトマス・ヘンリー・ハクスリーは、自然選択が適者生存という語に置き換えられたという不運のために、多くの害がもたらされた、と述べている。ハクスリーは次のように記している。

 「進化論が道徳の基礎を提供できるという考え方は、『適者生存』という用語の『適者』の曖昧さから生じた幻想であると考えられる。私たちは通常、『適者生存』を『最良』というわかりやすい意味で使う。そして、『最良』は倫理的な意味で捉えがちである。しかし、生存闘争の中で生き残る『適者』は、倫理的には最悪な者である可能性があり、実際その場合が多い」

 科学史家のダイアン・ポールは、この経緯とそれに続いて起きたことについて、こう総括している。

 「適者生存による進化は、進歩には自由放任主義の経済が必要なことを容易に示唆した。また、より富裕層の出生率を高める社会政策の必要性も示唆した。経済の自由主義は、主力産業の成功を保証したかもしれないが、生物学的な個人の将来に関しては、災いをもたらすことになる。なぜなら19世紀から20世紀初頭にかけての進化論者(ダーウィンも含む)ほぼ全員にとって、社会的成功と繁殖成功が相関しないことが明らかだったからである」

 適者生存という言葉が作り出した、進化と適性という概念の結びつき、そして善や良という価値とのリンクは、さらに「闘争の呪い」と融合し、闘争による社会の進歩と貧富・格差の存在、富裕層の特権、さらには植民地支配を正当化する思想を生み出したのである。

 だが、この言葉が持つ魔力はそれだけではなかった。後の時代に別の恐ろしい社会を招き寄せる役割を果たしたのである。