「いつでもお帰りって言えるような場所に」津波から立ち直ろうとする人々を描き、学校新聞で避難所の人たちを励ました児童の今を追う 帰ってきた彼女が思う「これから果たすべき自分の役割」とは? 岩手・山田町

AI要約

山田町の小学校で避難所となった児童が、学校新聞を通じて地域の復興を支援しました。

愛さんは津波で家を失った経験から、学校新聞で地域の励ましと支援を伝えました。

記事は地域の人々の団結や助け合いの姿を称え、復興の後押しをしました。

「いつでもお帰りって言えるような場所に」津波から立ち直ろうとする人々を描き、学校新聞で避難所の人たちを励ました児童の今を追う 帰ってきた彼女が思う「これから果たすべき自分の役割」とは? 岩手・山田町

震災発生後に避難所となった岩手県山田町の小学校で、津波被害から立ち上がろうとする地域の姿を紹介し、避難所の人たちを励ました学校新聞があります。

この学校新聞を手がけた児童の1人の今を追いました。

山田町大沢にある食料品店「ぶとうストア」です。

朝獲れたばかりの魚介類と手作りの総菜を提供しています。

人気商品の一つ、ボリューム満点のかつ丼を作っているのは、ぶとうストアの店主の長女、武藤愛さん25歳です。

3年前に当時勤めていた仙台市のコールセンターの会社を辞めて、ふるさとに帰って来ました。

(記者:目が回るほど忙しいんですね)

「そうですね。基本的にこんな感じで動いてます」

東日本大震災による山田町大沢地区の死者・行方不明者は合わせて121人。

770棟あった住宅の3分の2以上が被害を受け、地域の主要産業である漁業にも甚大な被害が発生しました。

愛さんは当時、大沢小学校の6年生。暮らしていた自宅兼店舗は津波で流されました。

大沢小学校は家を失った多くの人たちの避難所となり、卒業式を間近に控えた愛さんたち児童の学校生活は、それまでのものから大きく変わったといいます。

そんな時、避難所で暮らす地域の人たちを励まし、町の外から支援に来てくれた人たちに感謝の気持ちを伝えようと、愛さんたち、児童会執行部のメンバーが手がけたのが学校新聞「海よ光れ!」です。

愛さんは学校新聞の中で津波から立ち上がろうとする大沢の人々の姿を「さすがだ!!大沢!」という記事にしました。

(当時の朗読)

「大沢小学校は2日間孤立しました。それを救ったのは、地域の皆さんでした。いざというときに助け合える大沢って素晴らしいです」

津波で傷つきながらも互いに助け合い、支え合う大沢の人たち。

それを子どもの視点で捉えたたえた学校新聞の記事は、避難所で暮らす人たちを励まし生活の再建を後押ししました。

この記事に背中を押されたのは、愛さんの父、克則さんも同じです。