戦時中の海底炭鉱水没事故、海底に残されたままの183人の犠牲者たち 遺骨発掘へ市民団体が潜水調査 地上からも可能性探る 

AI要約

太平洋戦争中、炭鉱水没事故で183人が犠牲に。遺骨発掘や遺族への返還を目指す市民団体が取り組み開始。

海底に残る長生炭鉱の遺跡を調査。多くの朝鮮半島出身者が犠牲となった歴史を掘り起こす。

元労働者の危険な炭鉱での証言や遺族の思いを伝える。犠牲者に対する慰霊と真実の追求が進行中。

戦時中の海底炭鉱水没事故、海底に残されたままの183人の犠牲者たち 遺骨発掘へ市民団体が潜水調査 地上からも可能性探る 

太平洋戦争のさなか、戦時中、需要の高まった石炭を海底で採掘していた山口県宇部市の炭鉱が水没し、183人の労働者が犠牲になりました。

炭鉱の入り口は直後に塞がれ、犠牲者は今も海底に取り残されたままです。犠牲者の遺骨発掘と遺族への返還を目指す市民団体は、この問題を前に進めようとこの夏、2つの取り組みに着手しました。

長生炭鉱水没事故から82年

宇部市の海の中に立つ2本の無機質な筒状の柱「ピーヤ」。この内部の暗い水中に潜る調査が先月末、行われました。「ピーヤ」は、かつてこの場所にあった海底で石炭を採掘する「長生炭鉱」のもので、坑内の水や空気を排出する役割を果たしていました。

この「長生炭鉱」で、太平洋戦争中の1942年2月3日、坑道の天井が崩れて海水が流れ込み、水没する事故が発生。183人の労働者が犠牲になりました。

長生炭鉱の水非常を歴史に刻む会共同代表・井上洋子さん

「その直後に炭鉱の入り口を松の板で塞いだっていうふうに、それがその日のうちというふうになっているので」

犠牲者の7割は朝鮮半島出身者

犠牲者のうち136人は朝鮮半島出身者で、戦時中、需要が高まった石炭採掘のために、無理やり連れてこられた人もいるといいます。当時、石炭は燃料としてだけでなく、武器の材料である鉄の生産などのためにも必要な資源でした。

宇部市にあった炭鉱では、最盛期には年間およそ430万トンを採掘。そのうち長生炭鉱でも最大で年間およそ16万トンの石炭が掘り出されていましたが、浅い層を掘る危険な炭鉱だったという元労働者の証言もあります。

元労働者の証言

「海の下に坑道が通っていて、海の上を通る漁船のトントンという音も聞こえてくるほどのとても危険な場所です。でもどんな手段を使ってでも必ず脱出するつもりです」

パク・チョンイルさんは、事故で父親を亡くしました。

韓国遺族会・パクチョンイルさん

「大変な環境の中で連れて行かれて、どれだけ苦しく大変な思いをしただろうか。慰めのことばしかありません」