【79回目の終戦記念日】「まだ79年しか経っていない」柏崎市の男性が語る 満蒙開拓団の壮絶な歴史【新潟】

AI要約

満蒙開拓団の一員として満州に渡り、帰国を果たした男性が壮絶な悲劇を語り継いでいます。

1942年に家族と共に満州に渡った巻口弘さんの体験を通じて、27万人の入植者が抱えた苦難が明らかになっています。

終戦から79年経った今も、巻口さんは終戦記念日に祈りを捧げることで、過去の出来事を後世に伝え続けています。

【79回目の終戦記念日】「まだ79年しか経っていない」柏崎市の男性が語る 満蒙開拓団の壮絶な歴史【新潟】

15日は、79回目の終戦記念日です。柏崎市では満蒙開拓団の一員として満州に渡り、奇跡的に帰国を果たした男性が壮絶な悲劇を語り継いでいます。

柏崎市の巻口弘さん(89)は、1942年に家族7人で満州(現中国東北部)に渡りました。

■巻口弘さん

「長いようで短いなあと思う。まだ79年しか経っていないかなという感じ。」

国策で満州に渡ったのは、約27万人。柏崎市からは206人が入植し、「満州柏崎村」を開拓しました。終戦直前の1945年夏、旧ソ連軍の侵攻により父親には招集命令が。巻口さんは、母親と幼い兄弟らとともに、旧ソ連軍の略奪や暴行におびえながらの過酷な逃避行が始まりました。

■巻口弘さん

「語りつくせないほどの変化の中、残された私たちだって、ずっと生き抜いて日本にとにかく帰らなきゃならないと。」

命を落とした人は120人以上、巻口さんも3人の弟を失いました。柏崎市の赤坂山公園にある「満州柏崎村の塔」。巻口さんは毎年、終戦の日には塔の前で祈りを捧げています。

■巻口弘さん

「開拓団の先遣隊の人たちが難儀して苦労して、終戦になって残されなければならなかった人たちの辛さもあったろう。少しでもなめてあげて、受けてあげて、こうやって皆さんの犠牲があって今日があるんだよって。」

終戦から79年。満州での経験を語り継ぐ人が減っていく中、過去の出来事を生きる限り後世に伝えていきます。