国策に翻弄され多くの犠牲者を出した満蒙開拓 戦争を知らない高校生たちが感じた加害者と被害者双方に残った傷とは

AI要約

戦後79年を迎える中、戦争体験者の話を直接聞くことが難しい状況にあり、満蒙開拓の歴史を語り継ぐ取り組みが注目されている。

愛知県の高校生が戦争中の満蒙開拓をテーマにした講座を企画し、精神科医で劇作家の胡桃澤伸さんが講師として参加。祖父が開拓団を送り出した過去と向き合い、体験者の証言からドキュメンタリーを制作するなど、若い世代に歴史を伝えようとしている。

SBCスペシャル「刻印~不都合な真実を語り継ぐ」では、満蒙開拓の体験者たちの証言を通じて、戦後の苦難や悲劇を伝えており、教師の証言を通じて生徒たちも深い感動を覚えている。

国策に翻弄され多くの犠牲者を出した満蒙開拓 戦争を知らない高校生たちが感じた加害者と被害者双方に残った傷とは

戦後79年。

戦争体験者から、直接、話を聞くことが難しい時代を迎えています。

そうした中、戦争を知らない世代が、満蒙開拓の歴史を語り継ぐ取り組みを取材しました。

「あなたは満蒙開拓のどこを選んで伝えますか」

7月、愛知県の高校生らが、戦争中の満蒙開拓をテーマにした講座を企画しました。

講師を務めたのは、長野県豊丘村出身の胡桃澤伸(くるみざわしん)さん57歳。

精神科医として働くかたわら、劇作家としても活動しています。

胡桃澤さん:

「僕が生まれた村は、河野村っていう昔の名前で、今、豊丘村っていうんですけど、そこからも開拓団が送られていて、ソ連が侵攻してきて逃げられなくなって、70数名の方が亡くなって」

祖父の胡桃澤盛(くるみざわもり)さんは、当時、河野村の村長を務め、国策に従い、満州へ村人を送り出しました。

満蒙開拓団と呼んでいましたが、ソ連国境の防衛と植民地支配の拡大が目的でした。

胡桃澤さんは、祖父が遺した日記を読み、中国のかつての入植地を訪ねて、当時、日本人に土地と家を奪われた人の話を聞くなど、開拓団を送り出した祖父の責任と向き合ってきました。

講座では、胡桃澤さんが、体験者の証言をもとに脚本を書いた阿智村の村民劇を追ったドキュメンタリーを視聴。

戦争体験のない世代が満蒙開拓をどのように語り継ぐのか、問いかけました。

胡桃澤さん:

「『満蒙開拓のなかから、どこを選んで、あなただったら伝えますか』と質問しているんです。その答えを今日考えてきてくれているんです。それをちょっと聞いてみたいと思います」

「ここしかない」

歴史の教科書でもほとんど紹介されていない満蒙開拓。

実行員会の生徒たちは、別のドキュメンタリーも観て、理解を深めることにしました。

SBCスペシャル「刻印~不都合な真実を語り継ぐ」は、阿智村にある満蒙開拓平和記念館の証言記録を追った作品で、敗戦後に日本に引揚げてきた人、中国残留孤児になった人、様々な立場の人が体験を語っています。

その中で、ひとりの教師の証言が、生徒たちの心をつかみました。

宮川清治(せいじ)さんは、当時、国民学校の教師として、教え子を満蒙開拓青少年義勇軍に送り出しますが、敗戦後、そのうちの一人が亡くなったことを知ります。