【終戦の日】戦地に赴く間際に敗戦 家の近くの慰霊碑「放っておけない」…向き合い誓う「私の使命」

AI要約

太平洋戦争末期に訓練を受けた陸軍復員者が、戦争犠牲者を供養するために慰霊碑の手入れを続ける姿を紹介。

大杉実さん(98)は、祖母の勧めで軍に入り、終戦直前に徴兵されるも戦地には赴かず。現在も慰霊碑の手入れを欠かさず行っている。

戦争の残酷さを若い世代に伝えたいと願いつつ、地域の理解と協力を得て碑の意義を周知する活動を行っている。

【終戦の日】戦地に赴く間際に敗戦 家の近くの慰霊碑「放っておけない」…向き合い誓う「私の使命」

 太平洋戦争末期に陸軍で訓練を受けて復員後、慰霊碑の手入れを通じて同胞を供養し続けている男性がいる。浜松市浜名区の大杉実さん(98)。10代で軍に入り、戦地に赴く間際に終戦を迎えた。あれから79年。「二度と戦争の悲劇を繰り返してはいけない」との誓いから、今も作業に汗を流す。

 小林下地区の住宅地の一角にある神社。高さ2メートルほどの石碑には「静霊碑」と刻まれ、同地区の戦没者の魂が眠る。大杉さんは「家の中からでも見える。手つかずの状態で放ってはおけない」と月1回程度、妻かず子さん(95)と草むしりや枝切りにいそしむ。

 1926(大正15)年、現在の浜名区の農村に生まれた。祖母の教えで幼い頃から軍人を志し、農学校を卒業後、陸軍に入隊。岡山県の予備士官学校で上陸用舟艇の操縦や爆発工作などの訓練を受けた。過酷だったが、苦労とは思わなかった。「教官から『死ぬことが最高の誉れ』と教わった。お国のために死ぬものだと思っていた」

 卒業まで残りわずかとなった45年8月。突然講堂に集められ、敗戦を知らされた。事実を受け止めることさえできずに実家に帰され、「戦地にも行けず、これまでの訓練は何だったのか。情けなさだけが残った」と振り返る。

 その後は家業の手伝いなどを経て栃木県の音響メーカーに就職。定年まで勤め上げ、再び故郷に戻った。新居で暮らし始めてすぐ、隣に慰霊碑があることに気づき、手入れを始めた。かず子さんの兄は戦地で命を落とした。「戦争で犠牲になった人たちがいて今の自分たちがある」と感謝の気持ちで取り組んでいる。

 最近は「人々が戦争のことを忘れつつあるのでは」と危機感を抱き、地域住民の理解と協力を得て神社に碑の紹介看板を設置するなど、碑の意義を周知する活動も始める。今後も体が動く間は供養を続けるつもりだ。「国のために死んでいった人がたくさんいる。そのことを伝えていくのが生きている私の使命」。戦争の残酷さを若い人に知ってほしいと願う。