戦時下の金属供出を伝える遺物 奈良県大淀町の町文化会館で企画展 木製米びつ初公開、体験紹介や映画上映 8月19日まで

AI要約

奈良県大淀町桧垣本の町文化会館で企画展示「戦争の記憶2024~戦後79年。戦争の記憶を語り継ぐ」が開催されており、太平洋戦時下の金属供出の史実を伝える木製米びつが初公開された。

木製米びつは、大淀町比曽の古刹で見つかり、1942年当時の世情や供出の経緯が記された墨書きが残されている。

展示では他にも戦争体験紹介や戦時の様子に関する展示が行われ、日章旗が遺族に戻されたドキュメンタリー映画も上映される。

戦時下の金属供出を伝える遺物 奈良県大淀町の町文化会館で企画展 木製米びつ初公開、体験紹介や映画上映 8月19日まで

 奈良県大淀町桧垣本の町文化会館で企画展示「戦争の記憶2024~戦後79年。戦争の記憶を語り継ぐ」(~19日)が7日始まり、太平洋戦時下の金属供出の史実を伝える木製米びつ1点が初公開された。

 幅70センチ、奥行き53センチ、高さ48センチのがっしりとしたふた付き木箱。大淀町比曽の古刹・世尊寺で今年6月、前住職の本山一路さん(85)が掃除中に見つけた。

 1942(昭和17)年当時の住職が、この米びつが寄付された経緯や当時の世情を墨書きで残している。読み進むと、同年12月14日に県内のお寺が一斉に梵鐘(ぼんしょう)の「つき納め」をしたことも分かる。

 長引く戦時下で兵器等の製造に必要な金属が足りなくなり、政府は建物の金属装飾や鉄柵、お寺の鐘・仏具などを回収して再利用した。国家総動員法(1938年)や金属類回収令(1941年)などで供出は強化され、各家庭のなべなど日用品にも及んだ。

 世尊寺の鐘は高所にあったためか供出を免れたが、お寺で使っていた銅製の米びつを供出。代わりにこの木製米びつが寄進者からお寺に寄付されたという。本山さんは生まれ育った五條市西吉野町のお寺が梵鐘を供出した時の様子や学校で竹やりの訓練をしていたことなどを覚えている。「世界の平和が日本の平和につながる。平和を希求する思いは尽きない」と話す。

 また、戦跡写真家西田敦さんが県内のお寺等の金属供出について調べた資料の一部を掲示。戦後の買い戻しや再鋳造、供出免除の住民運動などが各地であったことを知ることができる。

 展示はこのほか、森勝彦元町長(1932~2018年)の戦争体験紹介パネル「張家口(ちょうかこう)からの脱出」、町の戦争語り部の証言に基づく「戦争カルタ」(2010年制作)のパネルなど。10日午後1時半から、「武運長久」の日章旗が2019年、英国兵の子孫から遺族に戻されたドキュメンタリー映画「日の丸:旗の帰郷」(制作=ジョージ・プリチャード、日本語字幕版、約26分)を上映する。無料。

 展示は午前9時~午後5時。会期中11、13日は休館。見学無料。問い合わせは同館、電話0747(54)2110。