パリ五輪総合馬術団体で銅の日本代表・北島隆三選手 高校の恩師「努力のたまもの」 奈良県立山辺高校出身

AI要約

パリ五輪の総合馬術団体で銅メダルを獲得した日本代表チーム。北島隆三選手の活躍により、リザーブの田中利幸選手が代わって競技に挑み、5位から逆転勝利を果たす。仲間とともに喜びの涙を流す瞬間を共にする。

北島選手は神戸市出身で、馬術への道を歩むきっかけは競馬に憧れたこと。身長と体重増から騎手への夢を断念し、馬術競技に転向し、五輪出場を目指す。

山辺高校、明治大学を経て、クレイン入社後に五輪への強い思いを抱くようになる。馬術競技での実績が徐々に積み重なり、メダル獲得につながった北島選手の努力と情熱が光る。

パリ五輪総合馬術団体で銅の日本代表・北島隆三選手 高校の恩師「努力のたまもの」 奈良県立山辺高校出身

 パリ五輪の総合馬術団体で銅メダルを獲得した日本代表チーム。五輪三大会連続出場で念願のメダルを手にした北島隆三選手(38)=乗馬クラブクレイン=は県立山辺高校出身。馬場馬術、クロスカントリーに続く競技3日目の障害馬術は、北島選手の馬が脚のけがにより馬体検査をクリアできなかった。減点を受け入れて、ともにイギリスで暮らすリザーブの田中利幸選手(39)=同=に代わったが、競技開始前の北島選手のアドバイスもあって田中選手が安定した演技を見せ、スタート前の5位から逆転。仲間と喜びの涙を流した。

 北島選手は神戸市生まれ。小学5年のとき、競馬の騎手に憧れ乗馬を習い始めたが、身長と体重増から騎手への道を断念。その後、五輪を夢見て馬術競技に転向した。

 山辺高校、明治大学の馬術部を経て2008年4月に「クレイン」入社。12年のロンドン五輪で同じクレイン所属の3選手が総合馬術で活躍するのを見て、五輪への思いを一層強くしたという。山辺高校時代のインターハイ団体で準優勝。大学では全日本ジュニア個人で総合馬術2連覇、14年アジア大会では総合馬術日本チームとして準優勝に貢献。18年の世界選手権は団体4位。今年3月のCCI4スター(ポルトガル)は優勝している。

 山辺高校に馬術部ができたのは北島選手が3年の時。前年に国民体育大会で好成績を収め、「(乗馬クラブでなく)学校から送り出してやりたい」ということから創部された。

 当時馬術部顧問の高校非常勤講師、服部秀一さん(69)=奈良市=は、「活躍を見守っていたが、ヨーロッパの馬術は進んでいるから、メダル獲得は思っていなかった。馬場馬術、障害馬術の両方をこなす選手で、きれいに乗りこなしていた。(メダルは)本当に驚き。努力のたまものだろう」と声を弾ませた。