弘前城天守台下から縄文遺構、200年定住か

AI要約

弘前城の天守台の真下から縄文時代の盛り土遺構が見つかりました。遺構には土器や石器が含まれ、縄文人が200年にわたり集落を形成していたことが明らかになりました。

盛り土遺構は竪穴住居の土砂や捨てられた土器・石器で形成され、集落を環状に囲むような特徴があります。

調査を指導した関根教授によると、岩木川が流れる住みやすい場所であったことから、縄文人が何世代にもわたってここを拠点に生活していたと推測されています。

弘前城天守台下から縄文遺構、200年定住か

 青森県弘前市は25日、弘前城の天守台の真下から、縄文時代晩期中葉-後葉(約2600~2400年前)の土器や石器を含んだ盛り土遺構が見つかったと発表した。石垣の積み直し工事とともに行った発掘調査で分かった。同市の市街地で盛り土遺構が見つかるのは初めてで、天守の立つ地点にかつて縄文人が集落をつくり、200年にわたり生活したことを示している。同日、報道機関向けに見学会が行われた。

 盛り土遺構は竪穴住居などを造る際に出る土砂や土器・石器を捨てていたとみられる場所。一つの集落を環状に囲むように形成されるのが特徴。

 見つかったのは、弘前城天守の土台から4メートル下の地点で、横5.5メートル、高さ40センチ。2022年度の調査では、天守台から北に45メートルの地点でも土器や石器数千点が含まれた土層が出土しており、今回の調査で同じ時期の遺構と判明した。

 調査を指導した弘前大学人文社会科学部の関根達人教授(考古学)は「縄文人が何世代にもわたり、ここを拠点に生活していたことが分かった。近くに岩木川が流れており、縄文人にとっても住みやすい場所だったのだと思う」と語った。

 遺構は調査終了後、再び石垣の下に埋め戻される。