山を売った99ドルから始まった 北部地域に愛される駄菓子の店「おきこや~」【わがまちLink41】

AI要約

名護市で65年続く駄菓子屋「おきこや」の歴史と愛される理由を探る。

店主の上間良光さん(83)の若き日からの始まりである「99ドル」から始まった創業の物語。

地元名護市で愛される駄菓子屋「おきこや」の魅力を伝える。

山を売った99ドルから始まった 北部地域に愛される駄菓子の店「おきこや~」【わがまちLink41】

突然ですが、駄菓子屋に行った思い出はありますか?

地域の魅力をお伝えする「わがまちLink41」のコーナー。今回は名護市で65年続く駄菓子屋が長年愛される理由を探りました。

(※文中、沖縄ローカルな言葉が多く登場しますが、“地元”を愛でるコーナーのため極力説明を加えず掲載します)

■名護の街なかに映えるド派手な黄色の建物が「おきこや」

およそ1000種類の商品が並ぶ、お菓子のデパート「上間商事」。地元では「おきこや~」の愛称で親しまれる駄菓子屋です。

▽上江洲まりの記者

「中に入ってみると、ずらーっと天井までお菓子が並んでいます!私もつい子ども心をくすぐられてしまいます」

▽プロ野球カードを持って入店した男の子

「当たりが出ました!」「レアの森友哉選手のキラキラ当たりました」

安くて品ぞろえ豊富なお菓子を求め子どもたちが絶えないこの店を60年以上切り盛りするのは、店主の上間良光さん、御年83歳。

レジの計算などは息子に任せるようになりましたが、今でも昼食をとる時間以外はずっと店に立っています。

上間商事は、沖縄の日本復帰前の1959年にオープン。

県外から到着したお菓子を那覇の問屋から買い入れ、いわゆる「二次問屋」として本島北部各地の100店舗以上にお菓子を卸していました。

▽店主・上間良光さん(83)

「最初(当時)はオキコの代理店が黄色の看板が多かったもんで、自分が始めたときに、黄色に「オキコ、ビスケット、キャンディ」と書いているのを見てみんな“おきこや”と」

上間商事の看板には、社名より仕入れ先の「オキコ」の文字の方が大きく書かれていたため、いつしか地域では「おきこや~」と呼ばれるように。

当初は卸し売りが中心でしたが、地域の人が小売りで駄菓子を買い求めるようになると段々とスペースが広がり、卸売りと駄菓子屋どちらの機能も果たす営業スタイルになりました。

そんな「おきこや~」の原点は、「99ドル」でした。

■山を売って手にした「99ドル」

戦争マラリアにより6歳で両親を失った良光さん。

20代に差し掛かろうとしたころ、良光さんに転機が訪れました。「駄菓子の卸売りが商売になる」と親戚から聞きつけ、お菓子の世界に飛び込んだのです。

▽店主・上間良光さん(83)

「部間(名護市の西の地域)に山があったんですよ。採石場が始まってこの山を99ドルで売って、これが始まり。99ドルで自転車を買って、那覇でお菓子を仕入れて」「翌日の朝、羽地村、屋我地村とか今帰仁村とか、オートバイで売ったりしたんですよ」

採石業者に山を売って手にした99ドル。この開業資金で1959年8月、上間商事をスタート。なんとその時の借入帳を、孫の雄大さんが家の大掃除中に発見しました。

▽孫・雄大さん(31)

「貧しかったという話だけは聞いてたので、どういう風にしてお店が始まったっていうのを聞けるきっかけにもなって良かった」