古びた昭和初期の公民館…床下から出た、石造りの地下施設 国の重要産業を支える建物だった

AI要約

昭和初期に建設された鹿児島市下福元町の野頭公民館で石造りの地下施設が見つかり、養蚕関連の施設だったと考えられる。現在保存、公開に向けた取り組みが行われている。

公民館は影野稚蠶共同飼育所の跡地にあり、地元の歴史を伝える財産として重要視されている。

地下施設には部屋や廊下があり、かつて影野で養蚕が行われていたことが記録されている。修築工事を行い、地下施設の見学を可能にする計画も進行中。

古びた昭和初期の公民館…床下から出た、石造りの地下施設 国の重要産業を支える建物だった

 昭和初期に建築された鹿児島市下福元町の野頭公民館で石造りの地下施設が見つかった。養蚕関連の施設だったとの記録が残り、カイコの飼育に利用していたと考えられる。地元の野頭町内会は「地域の歴史を伝える財産として残したい」と、今後は保存、公開に取り組む。

 公民館は1932(昭和7)年に国、県が資金を出して整備した「影野稚蠶(ちさん)共同飼育所」の跡地にある。町内会長の松下光國さん(82)によると、「影野」は近くの地名・影原と野頭を合わせた呼び名という。

 老朽化対策のため11月に着工する修築工事を前に床下を調べたところ、部屋や廊下を見つけた。部屋は三つあり、それぞれ約25平方メートル。高さは最大2メートル弱だが、場所によっては大人が腰をかがめる必要がある。

 34年に農林省蚕糸局が出した資料には、影野で48人が働いていたことや、県内で同時期に出水郡野田(出水市)や伊佐郡西太良(伊佐市)など計4カ所で養蚕施設が建設されたと記録される。外観写真も掲載されており、現在とほとんど変わっていない。

 詳しい時期は不明だが、養蚕が行われなくなった後、町内会が譲り受けたという。児玉美術館学芸員で近代建築を研究する堂園建郎さん(74)は「国の重要な産業だった養蚕を伝える貴重な建築物」と話す。

 来年2月末に終える予定の修築では、建物を保全しつつ、地下を見学できるようにする。松下さんは「地元の発展に貢献した建物の歴史を地域内外に発信できる拠点になれば」と語った。