制定から75年…被爆地を平和都市へ 広島の原点「広島平和記念都市建設法」とは【つなぐヒロシマ】

AI要約

79年前の原爆投下後、広島市は法律によって平和記念都市として建設された。その背景や動機、難しさについて、当時の関係者の声を交えて紹介。

広島平和記念都市建設法制定の必要性や意義、反対意見、地方都市の復興への影響など、法律に込められた思いと努力。

国庫補助により広島の復興を支援し、平和公園や道路などが整備され、広島の象徴的な復興と平和への歩みが示された。

制定から75年…被爆地を平和都市へ 広島の原点「広島平和記念都市建設法」とは【つなぐヒロシマ】

まもなく原爆投下から79年を迎えます。75年前、今の広島の原点となった法律が作られました。被爆地を平和都市へ。知られざる先人たちの思いを取材しました。

被爆した広島市を「復興」に導いた、広島市出身で当時の参議院議事部長だった寺光忠(てらみつ・ただし)さんの、原爆投下から4年後の肉声が残されています。

■参議院議事部長 寺光忠さん(当時)

「世界にただひとつの、恒久平和を象徴する都市をつくろうと・・・」

広島市を世界平和を訴える都市に復興させるため『広島平和記念都市建設法』の制定に動きました。

■参議院議事部長 寺光忠さん(当時)

「第一条。この法律は、恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする・・・」

なぜ、広島の復興に法律が必要だったのか。平和記念都市建設法について調査している、作家でジャーナリストの弓狩匡純(ゆがり・まさずみ)さんです。

■弓狩匡純さん

「広島に対して国が国庫を補助する決定がなされたわけですね。ここから、広島の戦後復興がスタートラインに立てて、今のような広島、豊かな平和都市ができてきた、重要な法律であると。」

この法律に支えられ、平和公園や100メートル道路などが整備されました。しかし、反対意見もあったといいます。

■弓狩匡純さん

「戦後、広島のみならず、全国の都市が空襲によって壊滅状態に陥っていたわけですね。なぜ国が優遇しなきゃならないのか、という議論がかなりあったんです。」

法律の制定に向け、広島選出の国会議員や市議会議員による強い要望がありました。

■弓狩匡純さん

「広島は、一瞬で全てが無くなった。人がいなくなり、建物が無くなり、財産も消えた。こういった場所を再建するためには、広島だけでなく、国の補助が必要であると。地方都市の(広島)市長はじめ、市会議員が必死になって尽力して、ようやく国を動かして国庫補助を得たという意味では、広島の心意気が非常に表れた法律ではないかと思いますね。」