どのように作られ、埋められたのか…358本の銅剣出土 荒神谷の大発見から40年 企画展はじまる

AI要約

40年前の7月に島根県出雲市の荒神谷遺跡で358本の銅剣が出土し、続いて銅鐸・銅矛も発見された。

現在、古代出雲歴史博物館で、弥生時代の展示が行われ、出雲の弥生文化の謎が解き明かされようとしている。

銅剣発見から40年が経ち、荒神谷遺跡の謎に迫る特別展示が開催される。

どのように作られ、埋められたのか…358本の銅剣出土 荒神谷の大発見から40年 企画展はじまる

島根県出雲市の荒神谷遺跡で358本の銅剣が出土したのは、今から40年前の7月。

さらに翌年には、銅鐸・銅矛も発見され、当時、わくわくした方も多かったのではないでしょうか。

日本中を驚かせた発見から40年、発掘作業に関わった調査員に当時の様子を聞きました。

古代出雲歴史博物館で、12日から始まった企画展。

弥生時代の人々の生活の様子、そして、銅剣や銅鐸など青銅器がどのように作られ、埋められたのか、出雲の弥生文化の謎に迫る展示が始まりました。

古代出雲歴史博物館 東森晋 専門研究員

「出雲の弥生時代は大変注目されていたが、これまではなかなか断片的な資料しか出せず、全体を俯瞰できるような展示は今回、初めて出来た」

出雲市斐川町にある現在の荒神谷遺跡。

この場所で、40年前、銅剣が見つかりました。

1984年7月。

広域農道建設のための発掘調査で、谷奥の斜面から銅剣358本が出土。

それまでに、全国で出土した銅剣約300本を超える数が1か所で見つかり、世紀の大発見となりました。

隣接する荒神谷博物館に勤務する宍道さんは、40年前の調査に関わりました。

荒神谷博物館 企画監(当時、斐川町教育委員会勤務)

宍道年弘さん

「板の上にガーゼを敷いて、その上に、銅剣をのせるが、銅剣の縁の部分が水分を含んで柔らかくて、下に残る。ピンセットでそれを戻す作業をした。」

さらに、翌年には、銅剣が出土した場所のすぐ隣りから、銅鐸6個、銅矛16本も出土。

宍道さんは、この本格調査に参加しました。

荒神谷博物館 企画監 宍道年弘さん

「銅鐸の斜面の上側を、左手の方から移植ごてで掘っていったら、土層を削っている時に、土の色とは違う色合いの土が出てきた」

銅鐸と銅矛の同時出土は、後にも先にも、全国で荒神谷遺跡だけ。

なぜ、荒神谷でこれほど大量の青銅器が見つかったのかは、いまだ、解明されていません。

ただ、今後、その謎が解き明かされる可能性はあると宍道さんはいいます。

荒神谷博物館 企画監 宍道年弘 さん

「青銅器なので、放っておくと腐食して、錆が進んでいくので、定期的に保存処理をしないといけない。」

「その保存処理の過程の中で、新たなことが分かってきたりする。」

銅剣発見から40年。

その謎に迫る古代出雲歴史博物館の企画展は7月12日から9月8日まで。

また、荒神谷博物館でも、13日から特別展が開催されます。

■古代出雲歴史博物館企画展

「荒神谷発見!-出雲の弥生文化-」7/12-9/8

■荒神谷博物館

特別展「埋める-古代の祈り-」7/13-9/16