佐賀市・松原神社の河童像「兵主部」50年ぶり神門に戻る…水難から子ども守る言い伝え

AI要約

佐賀市の松原神社に約50年ぶりに河童像が設置された。伝承によると、河童は子どもたちを守る存在とされている。

木像は高さ約68センチで、江戸時代に神埼市の詫田に住んでいた名工によって彫られたものである。

河童の伝説には、川に子どもを引きずり込んでいたが、藩祖・鍋島直茂によって捕らえられ、木像となって子どもたちを守るという物語がある。

 水難事故を防ぐと伝えられている佐賀市の松原神社の河童像が、約50年ぶりにかつて置かれていた神門の上に戻された。「兵主部」の名で知られる河童で、水害の多い時期を迎える中、伝承のように子どもたちを守ってほしいとの願いを込めた。

 木像は高さ約68センチで、頭に鉢巻きを巻いて筋骨隆々とした姿。江戸時代に神埼市の詫田に住んでいた名工が彫ったと伝えられる。

 伝承によると、昔、奈良に春日の神様を移す際に工事を命じられた奉行兵部大輔が、人手が不足していたために多くの人形にまじないをかけて働かせ、工事が終わると人形に戻して川に捨ててしまった。人形は河童となり、頭目は兵主部と呼ばれて、川に子どもを引きずりこみ命を奪っていたが、佐賀藩の藩祖・鍋島直茂が川の神に願をかけたために兵主部は捕らえられ、「彫刻に戻してください。償いに子どもたちを守ります」と訴えて木像になったと伝えられる。

 木像は約250年前の松原神社創建の頃から神門の上部にあったとされ、門をくぐるとその月は水難に遭わないと信じられていたという。ただ、50年ほど前に文化財の盗難が多発した際、防犯のため社務所内で保管。その後、境内に建てられた「松原河童社」に移された。松原神社では現在境内の整備が進められており、昔からある伝承を大切に受け継ごうと、神門に戻すことにしたという。

 25日に松原神社で神事が行われ、まつられている鍋島直茂に移設を奉告した後、神職らが木像を運び、門の上部に設置した。真崎実央禰宜は「水害がありませんように、子どもたちを守ってくれますように、との願いを込めました」と話していた。