「忘れない」松本サリン30年 献花台で多くの人が祈り 長野県松本市

AI要約

松本サリン事件から30年を迎えた記念日に、犠牲者のために多くの人が献花し、当時の思いを共有した。

事件を知る人や近隣住民だけでなく、若い世代も事件を風化させないようにという意識を示した。

30年経過した今も、事件の重要性を忘れず、同様の悲劇を防ぐために向き合う必要があるとの声が挙がった。

「忘れない」松本サリン30年 献花台で多くの人が祈り 長野県松本市

 平成6(1994)年6月に長野県松本市北深志1の住宅街で発生し、8人が死亡、約600人が重軽傷を負ったオウム真理教による松本サリン事件から27日で30年を迎えた。発生現場近くにあり、住人1人が亡くなった明治生命寮跡地の田町児童遊園には地元の田町・新田町町会によって献花台が設けられ、当時を知る人や初めて現場を訪れる人など、30組以上の人が犠牲者に花を手向けて冥福を祈った。近くを通りかかった若い世代からも、事件を風化させてはいけないという声が聞かれた。

 明治生命寮で亡くなった榎田哲二さん=当時(45)=の部下だった松本市内の女性(54)は初めて現場周辺を訪れた。「今までどうしても足が向かなかったが、献花台が置かれたと知って手を合わせに来た。切ない事件だった」と言葉少なに語った。

 教団の松本支部道場の土地明け渡し訴訟で住民側の弁護団に加わった野村尚さん(71)=松本市大手2=は午前9時過ぎに訪れ、花を手向けた。「学に優れた若者が入信し、操られていたことを今の若い人にも知ってほしい」と願った。事件当時から近くに住んでいる小口恒子さん(88)は、自宅の庭で育てたユリとアルストロメリアを供えた。「事件には本当にびっくりした。お巡りさんが何回も聞き込みに来た」と当時を振り返り、「安らかに眠ってください」と犠牲者に手を合わせた。松澤宗一さん(74)と令子さん(69)夫妻は「人ごとではない」との思いで下伊那郡豊丘村から訪れた。宗一さんは「(第1通報者の)河野(義行)さんは気の毒だと思う。メディアには真実を伝えてほしい」と求めた。

 現場近くを通りかかった大学生の田中宏樹さん(23)=同市北深志2=は、事件当時に父親が近くに住んでいたといい、「父から友人が被害に遭ったと聞いているが、現場の位置は知らなかった。亡くなった人もいて怖い事件だと感じる」と話した。「宗教で救われた人がいるかもしれないが、テロを起こすのはいけない。松本に住む人間として事件を忘れないようにしたい」と思いを口にした。2歳の娘を連れて散歩していた女性(35)は、昨年4月から現場近くに住んでいる。引っ越す際に事件について詳しく調べたといい、「悲惨な事件でいたたまれない。ふたをかぶせて忘れるのではなく、同じことが繰り返される可能性も考え、向き合わなければいけない」と述べた。