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雲仙普賢岳大火砕流から33年「救えたはずの人命 悔しさ今も」火山学者から未来へ “災害の記録”《長崎》
1989年の雲仙普賢岳の大火砕流から33年が経過し、89歳の研究者が記録をまとめた本を出版した。
本書には江戸時代からの噴火や地震の記録、平成の噴火のメカニズムなどが詳しく記載されている。
研究者は火砕流の危険性を訴え、避難勧告が出された区域には入らないよう呼びかけていたが、大規模な火砕流が発生し犠牲者が出たことに悔しさを感じている。
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雲仙普賢岳の大火砕流から33年。
当時、最前線で対応にあたった、89歳の研究者が1冊の本を出版しました。
災害の記録を次の世代へ、継承への思いを聞きました。
太田 一也さん 89歳。九州大学の名誉教授で、雲仙の山々を長年研究してきた火山の専門家です。
(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「有史以前からの雲仙火山の地質や地学的な歴史をまとめた。非常に雲仙火山が特異であると(わかる)」
今年3月、研究成果をまとめた本「雲仙火山-地形・地質と火山現象-」を出版しました。
江戸時代からの噴火や地震の記録平成の噴火のメカニズムなどが詳しく綴られています。
(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「橘湾の地震がだんだん普賢岳のほうに近づいてくる。これは最後には島原に来ると懸念していたら、普賢岳が噴火した。稼働はあるんだと思った」
1990年11月、198年ぶりに噴火した雲仙普賢岳。
太田さんは九州大学島原地震火山観測所の所長として、観測の最前線にいました。
刻一刻と変化する山の状況を把握し記録。自治体に助言をし、報道機関を通して住民にも直接、現状を伝えました。
(大火砕流発生8日前の太田一也さん)
「特に心配なのは、火山灰がものすごく積もっている。これが豪雨の時に流れ下ると、今まで以上の土石流発生の危険が高まっている」
火砕流が繰り返し発生するようになると、その危険性を訴え、避難勧告が出された区域には入らないよう呼びかけました。
(大火砕流発生2日前の太田一也さん)
「今まで規制された区域に報道機関も含めて防災担当者も入っている。それは絶対に避けてほしい」
しかし、1991年6月3日。
大規模な火砕流が発生し、避難勧告区域内で取材を行っていた報道陣や警戒にあたっていた地元消防団員ら43人が犠牲に。
多くの人の命が失われ、今も、悔しさが残ると話します。
(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「(避難勧告区域に)マスコミがいっぱい入っていた。それが死者が出る元になった。死ななくてよかったのに亡くなってしまった。これが私は非常に残念でならない。一介の研究者が(避難を)呼びかけても誰も聞かない。火山噴火予知連絡会とか公的機関が「入ってはいけません」と言ったら、おそらく阻止できたと思うけど(予知連は)一切関与しなかった」