上演から100年、ハワイの歌舞伎が日本へ里帰り 大学生が岐阜市で公演

AI要約

米国ハワイ大演劇舞踊科の学生による歌舞伎公演が岐阜市で行われ、初めて日本での“里帰り公演”が実現した。

ハワイ大で歌舞伎が根付き、学生らによって演じられるようになってから100年の歴史がある。

この公演は小栗幸江さんを含む関係者の長年の夢が叶ったものであり、感動の舞台となった。

上演から100年、ハワイの歌舞伎が日本へ里帰り 大学生が岐阜市で公演

 米国ハワイ大演劇舞踊科の学生による歌舞伎公演が1日、岐阜市学園町のぎふ清流文化プラザであった。ハワイ大で歌舞伎が上演されてから100年の節目に、初めて日本での“里帰り公演”が、岐阜の地で実現した。「30年越しの夢がかなった」。同大と交流を続けてきた美濃歌舞伎博物館相生座館長の小栗幸江さん(76)=瑞浪市=は万感の思いを語った。

 歌舞伎はハワイで日本人移民とともに根付き、戦前の1924年にはハワイ大で日系2世の学生らによって「忠臣蔵」を基にした作品が上演された。以降、専攻科目に取り入れられ、日本から歌舞伎役者らを招くなどして研究されてきたという。

 この日の演目は「弁天娘女男白浪」で、呉服店を舞台にした「浜松屋見世先の場」を英語バージョン、5人の盗賊が登場する「稲瀬川勢揃いの場」は日本語で披露した。難しい言い回しをこなしながら、見せ場の立ち回りでは、着物にげた姿で華麗な動き。一人一人が順に迫力の見えを切ると、会場からたくさんのおひねりが飛んだ。

 舞台袖には優しく見守る小栗さんの姿があった。相生座を拠点に地歌舞伎の保存・継承活動を続けてきた小栗さんは30年以上前、ハワイを訪れた時に、米国の歌舞伎研究第一人者でハワイ大教授だった故ジェームズ・ブランドンさんと知り合った。意気投合し、2人で「いつか歌舞伎を日本で上演したい。その時は岐阜で、相生座で」と語り合ったという。

 ブランドンさんが亡くなり夢が途切れかけていた2016年、ハワイ滞在中だった小栗さんのもとに、彼の教え子であるジュリー・イエッツィー教授が訪ねてきて、再び縁がつながれた。「衣装やかつらの製作や維持管理が難しい」との相談を受けると、小栗さんがハワイを訪れ、着物のたたみ方や着付け、かつらの洗浄方法のワークショップなどを開催。17~18年には大学院生1人を留学生として受け入れ、衣装の修繕方法や化粧技術などを伝授したり、相生座での公演への出演機会を設けたりした。

 念願かなったこの日の“里帰り”公演。小栗さんは「せりふの間もよく、いい舞台だった。感無量」としみじみ。イエッツィー教授は「ハワイ大の歌舞伎は、ハワイで育まれた『地歌舞伎』でもある。地歌舞伎の盛んな岐阜で披露できて胸がいっぱい」と語った。

 2日は、ハワイ大が瑞浪市の相生座で歌舞伎公演を行う。