東大寺、大規模な僧坊礎石出土 3度の焼け跡も確認

AI要約

奈良市の東大寺大仏殿北側から、室町時代に焼失した僧坊の礎石12基が出土した。礎石は大仏殿を中心とする東大寺にふさわしく、多くの僧侶が住んだ大規模な僧坊を示している。

礎石の発掘では、平安と室町時代の3度の焼失の痕跡も確認された。周辺には講堂やコ字型に囲まれた僧坊があったと推定されている。

また、礎石は大きさや設置された位置から、約千人の僧侶が住んだとされる奈良時代の僧坊である可能性が高い。

東大寺、大規模な僧坊礎石出土 3度の焼け跡も確認

奈良市の東大寺大仏殿北側から、室町時代に焼失した僧坊の礎石12基が出土し、同寺が19日発表した。礎石は大仏殿を中心とする東大寺にふさわしく、多くの僧侶が住んだとされる大規模な僧坊をうかがわせる大きさ。奈良時代の同寺創建に伴い建てられて以降、平安と室町時代の3度焼けた痕跡も確認した。

同寺と奈良文化財研究所、奈良県立橿原考古学研究所でつくる調査団が調査。付近には経典の講義などをする講堂と、その北と東西の三方にコ字型に囲うように僧坊があったと推定されている。小川による遺構の浸食を防ぐ護岸工事に伴い、推定地の一部を発掘した。

この結果、調査地の東西と南北方向に僧坊とみられる礎石計12基が約4メートル間隔で並んでいるのが見つかり、周辺には塼(せん)(タイル)も敷かれていた。礎石は判明分で約1メートル大、うち柱座は直径約90センチで、僧坊としては大きい。

焼土なども確認し、平安と室町時代の3度の焼け跡と推測。礎石を大きく動かした痕跡はなく再建時は当初と同じ場所に建てたとみられるという。瓦が出土したほか、室町時代の焼土には皿や碗など僧侶の生活道具が混じっていた。

僧坊は奈良時代の創建に伴い建てられたが、延喜17(917)年に焼失。再建後の治承4(1180)年には平氏による南都焼き打ちで再び失われた。その後も再建されたが、永正5(1508)年に焼けて以降は建てられなかった。

僧坊の規模は東西約221メートル、南北約126メートルと推定されており、約千人の僧侶が住んだとも言われる。

大阪市立大名誉教授で東大寺史研究所長の栄原永遠男氏(古代史)は「礎石が大きく、東大寺の僧坊らしい。将来、さらに広く調査して考古学的に全体の姿が判明することを期待したい」と話している。

現地説明会は21日午前9時半~午後3時半に行う。