若者は、本当にしらけていたのか? 富永京子さん『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』インタビュー

AI要約

1960年代の学生運動後に現れた「しらけ世代」は、政治参加や社会運動を忌避し、冷笑するようになったとされるが、准教授の富永京子さんがサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」を分析し、若者の実像を明らかにする。

「ビックリハウス」は、70~80年代に影響を与えた伝説的なサブカルチャー雑誌で、ユーモアやパロディーを通じて若者文化に大きな影響を与えた。

若者は「ビックリハウス」を通じて熱く議論し、自虐的なコミュニケーションを取りながら、理解し合う共同体を形成していた。過去の若者世代の実像を明らかにする研究であり、定説に疑問を投げかける内容となっている。

若者は、本当にしらけていたのか? 富永京子さん『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史』インタビュー

「若者は政治に関心がない」という指摘は今に始まったことではない。かつて1960年代の学生運動が鎮まったのちに現れた「しらけ世代」は、社会が豊かになったことや学生運動の過激化などの影響で、政治参加や社会運動そのものを忌避し、冷笑するようになったと言われている。 本当にそうなのだろうか? 立命館大学産業社会学部准教授の富永京子さんは、「しらけ世代」が愛読していたサブカルチャー雑誌「ビックリハウス」全130冊を分析し、著書『「ビックリハウス」と政治関心の戦後史――サブカルチャー雑誌がつくった若者共同体』(晶文社)にまとめた。当時の若者は、本当に「しらけ」ていたのか。富永さんが見据えた実像と、今につながる発見とは――。

「ビックリハウス」とは、1974年から85年まで発行された日本の伝説的なサブカルチャー雑誌だ。ユーモアやパロディーをモットーにした投稿主体の雑誌で、中心読者層は10代後半。世間の様々な事象を、政治性や社会性からはほど遠い立ち位置から、編集者と読者が一体になってパロディーで笑い飛ばし、当時の若者文化に多大な影響を与えたといわれている。富永さんが生まれる前年に休刊した。

「私は以前、深夜ラジオに投稿していたことがあったのですが、私より上のハガキ職人の人々がよく言及した雑誌に『ビックリハウス』がありました。なので、雑誌自体は知っていました。2017年に東京ステーションギャラリーで開催されていた『パロディ、二重の声――日本の一九七〇年代前後左右』という企画展を見に行った時に、この雑誌が展示されていて興味を持ちました」

「ビックリハウス」読者は競うようにして投稿し、熱くなっていた。社会運動の研究をしていた富永さんは、60年代の社会運動が終わったからといって、70~80年代の若者が急にしらけてしまった、という定説にかねてから疑問を感じていたという。富永さんはこの雑誌の読者共同体は、まるで自分がいたかのように近く感じられたとも話す。

「ラジオでも、パーソナリティーとリスナーの間で、彼らにしかわからない内向きな空間が形成されることがありますが、それと似たようなものを感じました。それに、『ビックリハウス』では、『私ブスだからさぁ』『行き遅れだし』といった、自虐的なコミュニケーションがあったり、大人からすればくだらないかもしれない、趣味的なトピックでも熱く語れたりする。一方で、論争が紛糾すると『まあ、人それぞれだからね』といった形でお茶を濁してしまう、というのは、その20年後に若者時代を過ごした自分にとっても、理解できるところがありました」