消えてしまう世界の断片を保存する…穂村弘と永井玲衣が語る短歌と哲学の可能性

AI要約

穂村弘さんの最新エッセイ集『迷子手帳』と、永井玲衣さんの待望のエッセイ集『世界の適切な保存』には、暴力にみちた世界に抵抗する言葉や短歌と哲学の視点で世界と向き合う二人の対話が収められている。

穂村永井さんの『世界の適切な保存』には、短歌の引用だけでなく、震災時のエピソードを通じてリアリティを描き、短歌のような感覚を伝えている。

穂村永井さんが語る、自身の短歌の裏にあるストーリーや感情は、短い言葉で強烈な印象を残す短歌の魅力を表している。

消えてしまう世界の断片を保存する…穂村弘と永井玲衣が語る短歌と哲学の可能性

穂村弘さんの最新エッセイ集『迷子手帳』と、永井玲衣さんの待望のエッセイ集『世界の適切な保存』が大きな反響を集めています。正解への最短ルートではなく「迷う」ことの意味、暴力にみちた世界に抵抗する言葉……短歌と哲学の視点で世界と向きあう二人の対話を、「群像」2024年10月号より特別に転載してお届けします。

⇒前編【穂村弘と永井玲衣が「世界のポテンシャル」を感じた瞬間】とあわせてお読みください。

穂村永井さんの『世界の適切な保存』には短歌の引用が多いけど、それ以外にも短歌的だと思うエピソードがあって、例えば東日本大震災のとき、あの直後はもちろん今に至るまで、一人一人がどこで何をしていたかを話し合うことがあったけど、永井さんがある人に、「どうだった?」と聞いたら、「スキニージーンズがきつかった」と言われた話を書いていますね。

永井「スキニージーンズがきついな、って思いました」と、まず言われたんです。

穂村それにはすごいリアリティを感じました。震災とスキニージーンズは何の関係もないように見えるけれども、背景や説明はすっ飛ばされて、本人の体感として圧倒的にただ一つ残った実感が、スキニージーンズがきついな、ということだった。短歌もそういうつくり方をするんだよね。短いから、「そのとき私はこういう場所にいて、こういう事情でふだんしない動きをしたので」みたいなことは説明できなくて、一番強く心に突き刺さったものだけが残るのが短歌なんです。

自分の作品で言うと、

さみしくてたまらぬ春の路上にはやきとりのたれこぼれていたり

という歌を、昔つくったことがあるんだけど、この「やきとりのたれ」は、僕にとってのスキニージーンズだったんです。「さみしいこと」と「やきとりのたれ」は何の関係もないんだけど、ずっとつき合っていた人と別れて、すごくさみしくて、怖くなって、外に出たら、何か袋が落ちていた。中に串が入っていたから、これはやきとりを食べた後の袋だとわかって、その下に黒い液体を見たとき、「やきとりのたれか」と思った。あまりにもさみしくて、「やきとりのたれ」の存在感が今ここの空虚な心に強烈に入ってきたんですね。

穂村永井さんはそのあと、おもしろい疑問を挙げていて、オリンピックで金メダルを取って表彰台に立った人も、隣の人の鼻息が気になったりするのだろうか、と。オリンピックの表彰台は社会システムの頂点とも言える場所だけど、そこでもやっぱりジーンズがきついとか、やきとりのたれがこぼれているみたいな世界の実在感があるんだろうか。その発想はすごく短歌的で、オリンピックの表彰台で隣の人の鼻息がうるさかったみたいな歌はあり得るな、と思った。そういう人が短歌を作らないだけで。