最後の1ページを読み終えた感動と満足感がスゴい…文庫全2000ページ「カラマーゾフの兄弟」を3分解説

AI要約

3人兄弟と父親をめぐる愛憎劇は、人間と神の問題にまで発展する。物語の舞台は、1861年のアレクサンドル2世による農奴解放後の混迷するロシア社会。カラマーゾフ家の家長フョードルは物欲にまみれ女にだらしがないが、作者はそれが人間の本質だと看破する。登場人物はクセのある強烈な個性の持ち主が大半を占める。

長男のドミートリイは元軍人で無頼の放蕩息子、次男のイワンはモスクワの大学に通うインテリで無神論者、三男のアレクセイは若き修道僧で信心深い好青年。また、スメルジャコフは狡猾で冷酷な性格で心理的に他人を操る能力にすぐれている。

「人間とは、たとえ悪党でさえも、われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ。われわれ自身とて同じことである」。この言葉は、物語が取り扱う普遍的なテーマを反映している。

3人兄弟と父親をめぐる愛憎劇は、人間と神の問題にまで発展する

■人間とはたとえ悪党でもナイーブで純真なもの

 世界的文豪フョードル・ドストエフスキーの集大成であり最高傑作とされる最後の作品である。

 物語の舞台は、1861年のアレクサンドル2世による農奴解放後の混迷するロシア社会。成り上がりの田舎の地主アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフとその3人の息子、ドミートリイ、イワン、アレクセイをめぐる人々の愛憎劇を軸に、神と人間、善と悪、信仰と自由、人間の生きる意味といった普遍的なテーマを扱っている。

 カラマーゾフ家の家長フョードルは、物欲にまみれ女にだらしがなく、常識外れだが、自分の財産上の問題を処理する能力だけは長けており、単なる馬鹿ではない。

 酒場で酔いつぶれているときに、最初の妻が死んだことを知らされるが、大げさなまでに嘆き悲しみながらも、内心では妻というくびきから解放されたことに快哉を叫ぶ。いかにも人非人のようであるが、作者はそれこそが人間の本質だと看破する。

 「人間とは、たとえ悪党でさえも、われわれが一概に結論づけるより、はるかにナイーブで純真なものなのだ。われわれ自身とて同じことである」

 俗物の極みのような父、フョードルをはじめ、登場人物はクセのある強烈な個性の持ち主が大半を占める。

 最初の妻の子である28歳の長男、ドミートリイは元軍人だが現在は他人の金をあてにして生きる無頼の放蕩息子。直情的で口と手が同時に出る暴力男だが、情に厚い一面もある。2番目の妻の子、次男のイワンは24歳でモスクワの大学に通うインテリ。科学を信奉し世の中全般においてシニカルなものの見方をする無神論者。三男のアレクセイは20歳の若き修道僧。信心深く純粋で誰からも好かれる好青年である。第4の息子ともいうべきスメルジャコフは、フョードルの息子(非嫡出子)でありながら彼の下で使用人として働いている。表面上はおとなしく従順で控えめだが、狡猾で冷酷な性格で、心理的に他人を操る能力にすぐれている。