女性の生き方が制限された“明治”という時代に、すべてを諦めなかった小説家を追う一冊『翔ぶ女たち』

AI要約

明治時代の小説家野上弥生子の人生と作品について英文学者の小川公代さんが研究し、新しい文学評論『翔ぶ女たち』を執筆。

弥生子の人生に惹かれた理由や作品と現代の表現との関連性を探る。

英訳されていない弥生子の作品について海外での知名度が上がっており、小川公代さんも研究を続けている。

女性の生き方が制限された“明治”という時代に、すべてを諦めなかった小説家を追う一冊『翔ぶ女たち』

 AERAで連載中の「この人のこの本」では、いま読んでおくべき一冊を取り上げ、そこに込めた思いや舞台裏を著者にインタビュー。

 家制度が確立し、女性の生き方が制限された明治時代に生まれた小説家・野上弥生子。自身の語学力や教養、主婦としての生きかたを、先駆的な仕事にどう生かしたのか。「ケア」をテーマに研究を続けてきた英文学者である著者の小川公代さんが弥生子の人生に惹かれた理由はどこにあったのか。『ケアする惑星』が話題の英文学者が、文学、映画、アニメ、音楽──現代の表現と野上弥生子を結ぶ、新しい文学評論となった『翔ぶ女たち』。小川さんに同書にかける思いを聞いた。

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『ケアの倫理とエンパワメント』『ケアする惑星』など、文学をケアの視点から読みとき、注目されてきた小川公代さん(52)。

『翔ぶ女たち』では明治から昭和にかけて活躍した小説家・野上弥生子(のがみやえこ)とその作品を、松田青子、辻村深月、アニメ「水星の魔女」、映画「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」といった現代の作品とともに論じている。

「2013年、私の母校でもあるイギリスのケンブリッジ大学で開かれた、ジェイン・オースティン『高慢と偏見』200周年記念学会での発表がきっかけで、野上弥生子の作品に出会いました。日本で最初にオースティンの翻案小説『真知子』を書き、夏目漱石の弟子でもある弥生子の知名度は、海外で上がっているんです。弥生子の作品はまだ英訳されていませんが、日本語が読める研究者は次々に論文を書いています。私も弥生子に関する論文をいくつも書いてきました」

 大分県臼杵市から15歳で上京した弥生子は、明治女学校に入学。同郷の野上豊一郎と結婚することを自分で決め、東京で暮らし続けた。夫を介して夏目漱石と出会い、『縁(えにし)』を22歳で発表してから99歳で亡くなるまで、現役の作家として活動した。