「不倫相手の女子大生と妻は"仲良し"」実質女性5人と好き放題に結婚し脳梗塞2度の66歳が月200万円稼げたワケ

AI要約

66歳の男性写真家が、3度の結婚・離婚、2度の脳梗塞を経験し、後悔のない人生を語る。

幼少期からアメリカ文化に憧れ、ルート66に魅了された男性が写真家として成功するも、複雑な女性遍歴を辿る。

不倫相手の女子大生と妻がテニスでダブルスを組むなど奇妙な連帯感が生まれ、結婚生活に波風を巻き起こす。

後悔のない人生を生きるにはどうしたらいいのか。現在66歳の男性は3度の結婚・離婚の後、2人の事実婚パートナーを経て、今は最初の妻と再び暮らしている。これまでに2度脳梗塞を患い、後遺症もあるが、「一切後悔はない」と断言する。その理由とは――。

 「やりたい放題、好き勝手に生きてきました。だから全く後悔はないです」

 神奈川県在住の写真家・よしおか和さん(66)は、これまでに2度脳梗塞を発症して体に麻痺が残っている。発する言葉には、いつこの世を去ることになっても、それを受け入れる、といった境地をうかがわせるものがある。なぜ、それほど達観しているのか。背景には、複雑な女性遍歴と稀有な人生経験があった。

■アメリカのルート66に魅せられた男

 生まれは東京都・調布市。返還される前の米軍調布基地の近くで育ち、アメリカ文化に馴染みがあった。特に幼少期にテレビで放映されたドラマ『ルート66』の世界観に激しく心惹かれた。

 「まだ小学生だったからちゃんと理解できてなかったけれど、成長してもずっと心に残っていたんです。憧れのアメリカには、こんな素晴らしい物語があるんだと」

 ルート66は、アメリカの東部シカゴと西部のサンタモニカを結ぶ、全長3755kmの旧国道(1985年廃線)。アメリカ西部の発展を促した重要な存在で、映画、小説、アメリカのポップカルチャーにたびたび登場している。

 「シボレー・コルベットが駆け抜けていくシーンがとにかく格好良かったんです。そこから1960年代や70年代のアメリカ車に傾倒していきました」

■好きなことだけをやっていても相当稼げた時代

 アマチュア写真家だった父の影響もあり、写真専門大学を卒業し、写真家となった。30代のときには雑誌のアメ車特集の撮影で、コーディネーターも含め全部やることになり、ルート66へ。経費は持ち出しでもいいからとかなり負担した。

 「そのときに偶然、ルート66の跡地を見たんです。“ヒストリックルート66”という、歴史的なネーミングで呼ばれていた場所です。子供の頃に見たテレビ番組を思い出して、ものすごいノスタルジックな思いに駆られました。気がついたらシャッターを切っていました」

 1990年代からはアメリカ車専門の写真家・ライターとして名前を売り、当時の稼ぎは月100万円超。断るほどオファーがあった。アメ車のレストア(古い車をオリジナルの状態に戻すこと)や売買ビジネスも展開して相当な利益になった。主な顧客である芸能人はアメ車に目がなく金に糸目をつけない人が多かったのだ。クルマ好きに乗じて、あまり実入りはよくないカースタントマンや劇用車の時代考証も喜んで手がけた。

 「アメリカ車に関する自分の知識やノウハウは誰にも負けないという自信がありました」

 経済的にも恵まれ、プライベートでも高校時代から付き合っていた女性と25歳で結婚した。幸福で平穏な時間を過ごしたが、やがて火宅の時間が訪れる。

■不倫相手の女子大生と妻はダブルスを組んだ

 当時、趣味を生かしてテニススクールのコーチの副業をしていたが、“教え子”である年齢のかなり離れた女子大生と不倫関係になったのだ。

 「不倫をしている感覚ではありません。彼女とは真剣に付き合っていたんですから」

 ずいぶん勝手な言い草に聞こえるが、実際、本人が妻に不倫のいきさつを正直に打ち明けると、妻は激昂するどころか、「その思いを受け止めてくれた」そうだ。

 奇妙な話だが、不倫相手の女子大生と妻はテニスでダブルスを組み、試合に出場し勝ち上がっていったらしい。同じ男を愛する女性同士の奇妙な連帯感が生まれたということなのか。

 ところが●歳のとき、銀婚式を前に離婚。原因は不倫だけではなかった。

 「彼女はいつも私をサポートするのが自分の役目だと言っていました。それを重く感じてしまって……。私はともに刺激を与え合えるような自立した女性と一緒にいたかった。それが離婚の原因にもなりました」

 どこまでもマイウェイのよしおかさんの人生はこの後さらに複雑なものになる。