「いつかまた一緒に過ごそうね」 光り輝くステンドグラスのお墓に込められた家族の思い

AI要約

小学生だった娘が8年前に亡くなり、家族がようやくお墓を作り、納骨することができた。

太宰府メモリアルパークでは美しいステンドグラスのお墓が20基並んでおり、個々のデザインには家族の思いが込められている。

1つのステンドグラスのお墓を作った家族の物語を通して、愛情と記憶が形になる過程が描かれる。

「いつかまた一緒に過ごそうね」  光り輝くステンドグラスのお墓に込められた家族の思い

小学生だった娘が旅立って8年。ようやくお墓を作り、納骨することができた家族。光り輝くステンドグラスのお墓に込められた家族の思いとは―。

福岡・太宰府市の「太宰府メモリアルパーク」。夏の暑い日差しに照らされ、美しく輝くステンドグラス。並ぶステンドグラスは、全て「お墓」だ。6年前からステンドグラスのお墓の販売を始めている太宰府メモリアルパークには、現在、約20基のお墓が並んでいる。

個性豊かなデザインが施されたステンドグラスには、残された人たちの、どんな思いが込められているのか―。

「妻が描いた絵です。それをステンドグラスにしてもらった」と話すのは、1年前に妻の富美子さんを亡くした小池隆さん。日本画を描くことが富美子さんの趣味だったため、残された作品のなかから“椿の絵”を選んだという。ステンドグラスのお墓を前に長男の小池諒さんも「思い出を形にできるのはいいことだと思います」と話してくれた。

ステンドグラスのお墓を手掛けるのは、グラスアーティストの後藤ゆみこさん。作り始めたきっかけを尋ねると「“墓石離れ”が進んで、納骨堂とかになっているので…。石屋さんとタイアップして、『こういう区画を作ってみたい』と企画して…」と話す。

後藤さんの記憶にいまも深く残っているのは、わずか10歳で旅立ってしまった娘を持つ家族のこと。「お嬢さんを病気で亡くされたご家族で、お墓の制作に『自分たちも関わりたい』と参加されて、私は少し手伝ってもらえたら良いかなぐらいに思っていたんですが、ほぼ100パーセント、自分たちでやられていました」。

そんなオリジナルのステンドグラスを作った家族を訪ねた。

娘を亡くした樋口和子さん。玄関には美しいオウムのステンドグラスが飾られている。「小学2年生のときに白血病と診断されて…、およそ2年半、闘病して…、10歳でこの世を去ることになりました」と辛い過去を振り返る。

明るく活発で家族のムードメーカー的存在だった琴乃さんを襲った病。それは『急性リンパ性白血病』だった。抗がん剤治療などに耐えながら迎えた10歳のとき『2分の1成人式』に出席した琴乃さんの姿がビデオに残されている。

「お母さんにはほとんど付き添いしてもらっています」

「受験のお姉ちゃんがいるのに、家を行ったり来たり大変だなと思います」

「そんなお母さんにいつも感謝しています」

「これからも前向きに治療して、元気に家に帰ります」

「将来の夢は美容師になりたいです」

「これからも優しく見守ってください」

家族の愛情を受けながら、辛い闘病生活にも泣きごとを漏らさず明るく過ごしてきた琴乃さんだったが、2016年9月28日、天国へと旅立って行った。

娘を亡くしてから、自分の気持ちが整理できるまで長い時間がかかったという和子さん。「娘のそばにいたい」と遺骨を納骨できずにいたが、8年の時間が経ち「私の誕生日に、家族から『何したい?どこに行きたい?』と聞かれて、私は『お墓を見つけに行きたい』と言って…、行って出会ったのがあのステンドグラスのお墓になります」と語った。

樋口さん家族が作ったステンドグラスのお墓-。色鮮やかなオウムがとても印象的で、ひときわ目立っている。樋口さんの家にも、玄関に入ってすぐにステンドグラスのオウムが出迎えてくれる。和子さんは「ここが家。帰って来たな。お墓が、おうちみたい」とお墓を前に語った。さらに「家族4人、この子のためと私たちがこれから入るための場所をみんなで作り上げた」と静かに手を合わせる。

家族にとってのもうひとつの家。「いつかまた一緒に過ごそうね」。両親と姉は、そう琴乃さんに語りかけていた。

(テレビ西日本)