「天正遣欧少年使節」がリスボンで滞在した教会の知られざる不思議

AI要約

天正遣欧少年使節がポルトガルを訪れた際に滞在したサン・ロケ教会の歴史について紹介されており、教会が現在もほぼ当時の姿を保っていることが強調されている。

サン・ロケ教会はリスボンの中心地に位置し、日本とも縁がある教会として知られている。イエズス会の初期メンバーによって建設され、1755年のリスボン大地震にも耐えた歴史ある建物である。

記事では、サン・ロケ教会の建設やリスボン大地震への抵抗力、イエズス会の歴史など、教会に関連する様々な情報が提供されている。

「天正遣欧少年使節」がリスボンで滞在した教会の知られざる不思議

文・写真/東リカ(海外書き人クラブ/ポルトガル在住ライター)

誰もが日本史の授業で習ったはずの「天正遣欧少年使節」。

今から440年前、生存率50%といわれた欧州までの船旅を乗り越えたこの少年使節団の欧州最初の滞在先となったのが、ポルトガル・リスボンにあるサン・ロケ教会だ。

この教会は、街に壊滅的な被害を与えたリスボン大地震にも耐え、現在もほぼ当時の姿を保っている。

そんな日本とも縁がある教会の知られざる不思議をリスボン在住の筆者が紹介する。

「天正遣欧少年使節」は、1582年(天正10年)に九州のキリシタン大名である大友宗麟・大村純忠・有馬晴信が派遣した日本初のヨーロッパ訪問団。この命懸けの航海の中心となったのは、その名が示すように、伊東マンショ、千々石ミゲル、中浦ジュリアン、原マルチノという13~14歳の4名の少年である。

長崎港を出発した彼らが、マカオ、マレーシア、インドなどを通り、南アフリカ喜望峰まわりで欧州最初の寄港地、ポルトガルのリスボンに到着したのは1584年8月、2年半後のこと。ようやく欧州にたどり着いた彼らは、当時イエズス会が所有していたサン・ロケ教会で1か月ほど過ごした。

サン・ロケ教会は、いつも観光客で賑わっているリスボンの中心地「バイロ・アルト」にある。あまり知られていないが、この地域の正式名称が「バイロ・アルト・デ・サン・ロケ(「サン・ロケの高い地区」の意味)」なのは、サン・ロケ教会がこの地区を形成するきっかけになったからである。

日本人にとって馴染みのあるフランシスコ・ザビエルら、イエズス会の初期メンバーは、1540年にポルトガルに到着。1553年に城壁外のオリーブ畑にあった小さなサン・ロケ礼拝堂を受け取ると、翌日には移り住み、1568年ごろには礼拝堂の上に単一の身廊をもつ教会の建設を開始した。

1573年には教会が完成していないにも関わらず、信仰活動が始まった。同時に現在博物館となっている司祭用の教授院も建設された。

この教会は、リスボンの大半が崩壊した1755年のリスボン大地震にも耐え、その建物のほとんどが現存している。ただしイエズス会は1758年にポルトガルから追放され、1768年以降はポルトガルの信仰慈善団体「ミゼリコリダ協会」の所有となっている。

さっそく内部を見ていこう。