聖マルコの遺体を豚肉の下に隠して…中世に人々が「聖遺物」を物色したワケ

AI要約

中世から近世にかけて、聖遺物の獲得競争が熾烈を極めた。帝母ヘレナはエルサレムまで赴き、聖遺物を持ち帰った。信者たちは聖遺物に奇跡的な力を求め、怪我や病気の治癒を期待した。

キリスト教信者たちは聖遺物が特別な力を持つと信じ、その力を求めて獲得競争を展開した。聖遺物は聖なる人の遺体や身にまとった物などからなり、特に奇跡を起こす力として期待された。

聖遺物を所有することは名誉であり、中世から近世にかけては王侯貴族や教会が競って獲得をし、信者たちはその力に夢見た。

聖マルコの遺体を豚肉の下に隠して…中世に人々が「聖遺物」を物色したワケ

中世から近世にかけて、特別な力が宿ると考えられた聖遺物の獲得競争がし烈を極めた。帝母ヘレナは聖地エルサレムまで赴き、真の十字架と聖釘、イロンギヌスの槍、イエスを生む際に使用した飼い葉桶などを持ち帰った。

中世から近世の時代には、聖遺物には怪我や病気を治癒する力があると信じたキリスト教信者たちがになって聖遺物の獲得に走った。なかにはイエズス会宣教師のフランシスコ・ザビエルの指を食い千切って逃げた女性もいたという。

そんな狂乱の聖遺物獲得競争の数々を、歴史作家・島崎晋氏が詳しく紹介する。

※本記事は、『呪術の世界史―神秘の古代から驚愕の現代』より一部を抜粋編集したものです

神の子イエスが最後の晩餐で使用した聖杯、十字架上のイエスの脇腹を貫いたロンギヌスの槍、イエスの顔を覆った聖骸布。しばしばミステリーや冒険物語の題材とされるこれらはすべて聖遺物と呼ばれている。

聖遺物の定義と分類に関しては、秋山聰著『聖遺物崇敬の心性史 西洋中世の聖性と造形』にある説明がわかりやすい。それによれば、聖遺物は次の3種類からなる。

(1) 聖なる人の遺体、遺骨、遺灰等

(2) 聖なる人が生前に身にまとったり、触れた事物

(3) (1)ないし(2)の聖遺物に触れた事物

ここにある「聖なる人」にはナザレ出身のイエスと処女懐胎をした聖母マリア、愛弟子である12使徒をはじめ、信仰のために命を落とした殉教者、キリスト教に大きな貢献をした教皇、司教、修道士などが含まれ、聖遺物とは彼らの遺体もしくは遺骨、遺灰および彼らが生前身につけた物や触れた物、遺体に触れた事物、その事物に触れた事物などからなる。

これら聖遺物には特別な力が宿ると考えられ、その力をギリシア語では「デュナミス」、ラテン語では「ウィルトゥス」と言う。キリスト教は一神教のため、この力はあくまでも天上の唯一神に由来し、聖人と聖遺物は媒介との扱いだが、それだけにこの力はウイルスのように伝染すると考えられた。

信者たちが聖遺物に期待したのは何よりも奇跡で、具体的には怪我や病気の治癒が断トツの1位だった。

聖遺物を所持することは王侯貴族にとっては大変名誉なこと、教会にとっては来訪者や寄進の増加につながることから、とりわけ中世から近世には獲得競争が熾烈を極めた。