東京芸大・山岳部の黒沢ヒュッテ、64年経て傷み激しく 修復に奔走

AI要約

長野県大町市にある東京芸術大山岳部の山小屋「黒沢ヒュッテ」が64年間の風雨に耐え傷みが激しく修復が必要とされている。

登山ブームの中で1960年に建てられたこの山小屋は、部員やOBにとって青春時代の思い出が詰まった独創的なデザインを持つ。

同窓会「上野山の会」が寄付を募り、自主的な修復活動を行いながら、地域に開かれた山小屋としての活動を展開している。

東京芸大・山岳部の黒沢ヒュッテ、64年経て傷み激しく 修復に奔走

 64年間の風雨風雪、低温に耐え、傷みが激しい東京芸術大(本部・東京都台東区)山岳部の山小屋「黒沢ヒュッテ」(長野県大町市平黒沢)の修復のため、山岳部の同窓会「上野山の会」が寄付を募っている。戦後の登山ブームの中で建てた独創的デザイン。創作活動にも使われてきた場所で、OBらは青春時代からの思い出が染み込んだ山小屋の末永い存続を願っている。

 日本登山隊のヒマラヤ山脈・マナスル(8163メートル)初登頂などに刺激された登山ブームの中、部員が資金集めなどに奔走して待望のヒュッテが完成したのは1960年。北アルプス・後立山連峰の盟主とも言われる鹿島槍ケ岳(2889メートル)への登山口に近い尾根上(標高約1200メートル)にあり、2階建てで延べ床面積は110平方メートル。1階はコンクリートブロック造りで主に寝室、2階は木造で広間や台所、就寝スペースがあり、約25人が寝泊まりできる。

 近代建築史家の山本学治氏が、同大建築科助教授で山岳部長だった当時に設計。四角形の屋根は南西側から北東側に向かって低い「片流れ」で、南側と西側には広いバルコニーが軒下より外に張り出している。2018年に国の登録有形文化財に指定された。

 登山やスキーだけでなく、アート活動の拠点にもなっており、部員やOBが、破損箇所の修繕、沢水を引く水道の管理など、日ごろの整備にも努めてきた。

 だが、20年に始まるコロナ禍で、思うように滞在できない時期が続いた。冬は積雪が約2メートルになる地域で、毎冬行っていた屋根の雪下ろしもできなかった。22年、屋根の先端からひさし状に飛び出していた雪の塊が落下してバルコニーが大破。屋根や外壁、内装も傷んでおり、崩壊の恐れさえ出てきた。

 柱の補強など応急処置を施しつつ、早急な大規模修復が必要と判断したものの、23年10月、業者が見積もったバルコニーと屋根の工費は2000万円と高額だった。物価高や人件費高騰でさらに費用がかさむ恐れもある。

 そこで、修復自体を制作活動と捉え、解体や簡易な作業は自分たちで少しずつやり、工費を節約することにした。そのうえで、24年度は募金活動や修復の準備期間とし、バルコニーは25年度、屋根は26年度に工事したいと考えている。

 一方、任意団体だった「上野山の会」を23年12月に一般社団法人化。銀行口座を通した寄付を受けられるようにした。クラウドファンディングの活用も視野にあるが、「まずは自分たちでできる限りのことをやらないと、理解を得られないと思う」と山の会理事で、同大大学院音楽研究科でトロンボーンを専攻する大関一成さん。現在、400万円余りが集まっている。

 上野山の会の寄付金受付口座は、GMOあおぞらネット銀行の法人第二営業部、普通1735993。【去石信一】

 ◇黒沢ヒュッテ、地域に開放

 「上野山の会」が目指すのは、地域に開かれた山小屋「黒沢ヒュッテ」だ。その考えを表す活動の一つが、地元の長野県大町市で開かれる「北アルプス国際芸術祭2024」(9月13日~11月4日)への参加だ。

 関連イベントとして食べる動作や料理に合わせたオリジナルの木製スプーンを作るワークショップを8月11日に開いたほか、9月22日夕方から夜にかけては東京芸大山岳部主催で「あーときゃんぷ黒沢」のエキシビションを開く。23年に続いて2回目。 作品やパフォーマンスを披露し、地域住民ら多くの人の来場を期待している。

 上野山の会を法人化した理由の一つにも地域開放がある。理事の大関一成さんは「事業や経理を透明化することにつながり、誰でも参加しやすい環境になる」と話す。