東京・国立の景観美と街の財産 地元在住43年の写真家がたどる…新築マンション解体騒動で話題

AI要約

国立市の歴史と魅力

国立市の発展と景観美

マンション解体に対する意図

東京・国立の景観美と街の財産 地元在住43年の写真家がたどる…新築マンション解体騒動で話題

 今年6月、東京都国立市で完了検査直前の新築マンションを解体すると積水ハウスが驚きの発表をした。理由は「富士山の眺望を回復」するため。数十億円の損失になることもあり、全国的なニュースになった。すでに解体工事は始まり、来年8月には更地に戻る予定。「この街の歴史を知らない人が増えたからこんなことになったのでは」と話す、国立市在住43年の写真家が街の変遷をリポートする。(写真・取材=フォトジャーナリスト・薄井崇友)

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■箱根土地が構想した学園都市

 再開発に沸く東京は超高層ビルラッシュで空が狭く見える街が増えている。そんな中、国立という街は誕生時の姿を色濃く残す。「永住したいと思う街」ランキング2位になったこともある、住みやすくて人気の街だ。

 新宿からJR中央線で約30分。国立駅を降りれば、春は桜、秋は紅葉の名所「大学通り」が約2キロ先のJR南武線・谷保駅まで延びていて、空が広い。駅周辺にはオシャレなカフェなどが立ち並び、大学通りから路地に入れば地元の人が通う隠れ家的な店もある。

 国立市の前身は、1889(明治22)年に3村が合併して生まれた神奈川県北多摩郡谷保村だ。東京商科大学(現・一橋大学)初代学長の佐野善作と箱根土地(後の西武鉄道グループ)専務の堤康次郎がドイツの学園都市ゲッティンゲンを理想として、高等教育施設と住宅地を一体的に開発する「国立大学町」を構想したことが街並みの基礎になっている。

 1926年に国立駅が開業すると宅地の分譲がスタートし、東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)が校舎の竣工に合わせて移転。翌27年には一橋大学も誘致された。

 箱根土地は、街の骨格として3本の通りを配置する。駅前の円形公園を起点に谷保駅(29年開業)に向けて南北に延びる「大学通り」、駅の南東に朝日を望む「旭通り」、そして駅の南西には通りの奥に富士山を望む「富士見通り」だ。

 宅地分譲では「郊外の理想郷」が打ち出されて景観美がPRされていく。景観美が街や住民の「財産」として評価されるのは、こうした街の成り立ちも影響しているのだろう。問題のマンションは国立駅から富士見通りに入って700メートルほど進んだところにある10階建て。積水ハウスが「富士山の眺望を回復する」とした意味を解釈すれば、「景観は財産だ」とする街や住民の意見を尊重してのことかもしれない。

 堤は分譲後も、大学通り両脇の緑地帯と駅前の公園を行政に譲渡せず、同社に保有させた。「行政に預けたらどうなるか分からないと堤が心配した」と地元住民は話す。西武沿線の大泉学園や小平の学園都市開発を手掛けた堤の集大成が国立であり、「遺作」となった。

 戦後の住宅復興で人口が増え、51年に谷保村は国立町に。隣町にあった米軍立川基地の影響で、兵士を相手にする風俗施設や飲食店などもできたことから、住民や学生が文教地区指定運動を起こし、52年に東京で初めて文教地区の指定を受ける。文教地区になったことで、その後、風俗店や商業施設などの建設は制限されるが、米兵の影響は基地が解散する70年代まで続いた。