兄二人を病気で、夫を戦争で亡くし…「中村江里子の実家」銀座十字屋を支えた“女性社長”の言葉

AI要約

NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、戦前、「婚姻した女性は無能力者である」という時代から始まる。主人公の寅子が女子学生の頃は女性は弁護士にもなれず、「無能力者」と呼ばれていた。

戦後、多くの男性が戦争で命を落とす中、女性たちが会社経営を受け継ぎ、その能力を示す機会が生まれた。

中村江里子さんの祖母が経営する「銀座十字屋」は、ハープを中心に楽器販売、音楽教室の運営を行う日本でも随一のハープ専門店である。

兄二人を病気で、夫を戦争で亡くし…「中村江里子の実家」銀座十字屋を支えた“女性社長”の言葉

NHK朝の連続テレビ小説『虎に翼』は、戦前、「婚姻した女性は無能力者である」と民法で記されていた時代から始まる物語だ。主人公の寅子が女子学生の頃は女性は弁護士にもなれず、「無能力者」と呼ばれていたのだ。

この「無能力者」とは、実質能力がないというよりも女性の能力を生かすことができていない、という意味だろう。

しかし、戦争で多くの男性が戦争で命を落とした。誰もが生きるため必死だった中、会社を経営するために、社長だった男性の妻が、母が、娘が、その経営を受け継ぐということもあった。状況でようやく、女性が「無能力者」ではないことがわかった人もいたかもしれない。

そして兄を病気で、夫を戦争で亡くし、実家の会社の経営を引き継いだのが、中村江里子さんの祖母の倉田槇さんだ。

中村江里子さんの母方の実家が経営するのが、「銀座十字屋」。2024年創業150周年を迎えるハープを中心に楽器販売、音楽教室の運営を行ってきた会社である。槇さんのあと、江里子さんの父の清郎さん、母の千恵子さんが社長をつとめ、現在は弟の倉田恭伸さんが社長をつとめている。日本でも随一ともいえるハープサロンを擁し、国内最大規模を誇るハープ専門店だ。

松屋銀座のむかい、銀座3丁目にある「GARENビル」14階に「ハープセレクション銀座十字屋」がある 撮影/FRaU web

槇さんは夫を戦争で亡くす前は専業主婦だった。では戦後どのように社長となっていったのだろうか。

2013年出版した中村江里子さんの著書『女四世代ひとつ屋根の下』(講談社文庫)「第3章 実家が経営する、十字屋のこと」から抜粋紹介する。まずは中村江里子さんが伝える「十字屋」について、そして槇さんの言葉をお届けする。

十字屋は、明治7年に原胤昭によって開業した十字屋書肆(しょし)を高祖父が引き継いだ会社。母の代で四世代、社長としては七代目になります。「十字屋」という屋号は、キリスト教の「十字架」から取ったもので、教会の牧師さまたちに聖書や賛美歌の本を取り扱う書店からスタートしました。それがきっかけで、オルガンなども取り扱うようになり、序々に音楽事業を拡大していったそうです。その後、西洋の音楽を普及させ、日本の音楽教育の発展に尽くすという理念をもって、海外からの楽器の輸入をスタートさせた、日本で初めての西洋楽器店となります。

明治7年創業時の「銀座十字屋」写真/『女四世代ひとつ屋根の下』より

わたしが子どもの頃は、祖母の倉田槇が社長として十字屋を切り盛りしていました。曽祖父の倉田初四郎亡きあと、祖母はふたりの兄を相次いで結核で亡くし、夫にも戦争で先立たれました。祖母には、本家の自分が十字屋を守らなければご先祖さまに申し訳ないという思いがあったといいます。

いまより少しふっくらしていた祖母は、電車と地下鉄を乗り継いで銀座の会社に通っていました。そして、帰りには必ず孫のわたしたちにお菓子を買ってきてくれたものです。

いまでこそ、女性の社長さんも増えていますが、祖母が社長に就任した第二次世界大戦直後は、若い女性の社長という存在はとてもめずらしかったはずです。