集中の末に生まれる「偶然という恩寵」 濱口竜介の「悪は存在しない」

AI要約

TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は濱口竜介監督の映画「悪は存在しない」について。

公開中の「悪は存在しない」の結末が頭から離れない。神話としか思えないエンディングの衝撃に痺れた。

たった2年半でベルリン、カンヌ、ヴェネツィアと世界3大映画祭で受賞した濱口竜介監督について、蓮實重彦も絶賛している。

集中の末に生まれる「偶然という恩寵」 濱口竜介の「悪は存在しない」

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回は濱口竜介監督の映画「悪は存在しない」について。

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 公開中の「悪は存在しない」の結末が頭から離れない。神話としか思えないエンディングの衝撃に痺れた。

 そのストーリーとは……

 巧(大美賀均)と彼の娘・花(西川玲)が慎ましく暮らしている高原でグランピング施設を作る計画が持ち上がる。豊かな水源を汚しかねないと動揺が生まれ、父娘の生活に微妙な影を落とす、というもの。

 たった2年半でベルリン、カンヌ、ヴェネツィアと世界3大映画祭で受賞した濱口竜介監督は『他(た)なる映画と』なる批評集も出し、今飛ぶ鳥を落とす勢い。

 蓮實重彦も絶賛している。「濱口はその新作で溝口(健二)にも匹敵すべき大作家になったのか。少なくとも、彼は新作の世界同時公開という溝口には果たせなかった大事業を涼しい顔でやってのけた」と記し(朝日新聞5月2日付)、「名高いスターなど一人も出ていないのに絶対見る価値のある稀有な作品」と手放しだ。

 フランス滞在中の濱口監督をZoomを介して番組ゲストに招いたのは村上春樹原作「ドライブ・マイ・カー」に続いて2度めだった(TFM「ストリートフィクション by サトシオガワ」)。東大を出ても公務員になることはお互い考えなかったとパーソナリティ小川哲とのやりとりは同窓同士の和やかな出だしで、肩ひじ張らないトークが披露された。

 曰く、漫画『Dr.スランプ』や『スラムダンク』にカットを学び、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」で映画の面白さに気づき、ジョン・カサヴェテス「ハズバンズ」でアメリカの中年男たちの姿に生き様を知ったなどなど。

 時折示す映画にまつわる濱口の映画技法が印象的だった。

「コントロールできなさに適応しつつ、演出していく。仕掛けを作り、思いもよらない反応が出てくるのが一番面白い」「タイトルが大事。タイトルと物語が醸し出す緊張感を味わってほしい」

 注目されたラストシーンについては、「人間の怖さが最後でドン!と現れる。分からなかった人間の本性が雪原の中でうわーっと目の前にくる。大美賀均を主役にしてよかった」という。彼は素人で、当初スタッフとして参加していた。朴訥と薪を割り続ける彼が発するのは刈り込まれた最小限のセリフ。「喋らないと怖い。ごく少ないセリフを積み上げたんです」。もう一つはカメラの置き方。「カメラは精密。カメラの知覚には微細な発見があるんです。三人称性というか、客観性がある。だから三脚をどこに立てるか考えた」

 冒頭に「神話」と記したが、神話はこの技法の上に生まれた。そして、集中の末に生まれる「偶然という恩寵」に恵まれたとも濱口は言う。

 行方不明になり姿を消す少女も森の精霊のようだった。開発者を絞め殺した父の所作はその森の総意なのだとも。「開発」などという体のいい語彙ではなく、「破壊」なのだとこの作品は示していた。

(文・延江 浩)

※AERAオンライン限定記事