「お母さん、私うまくできたでしょ?」“親の顔色ばかりうかがう子ども”を生み出す、親の無意識な行動とは?
精神科医さわさんが、母親の過剰な期待に悩んでいた子ども時代を振り返ります。
親の顔色を気にし、優等生キャラを演じ続けていたさわさんが脱却するきっかけとは?
親の期待に応えようとする中、クリニック開業で親のレールから抜け出した経験を明かします。
発達障害の不登校児を育てながら、YouTubeでも大人気の精神科医さわさんは、子ども時代に母親から過剰な期待をかけられ、親の顔色ばかりをうかがう子どもになってしまったのだそうです。
そこで今回は、そんなさわさんの書籍『子どもが本当に思っていること』から、「今日はお母さんの機嫌どうかな?」という項目をご紹介します。
勉強が出来なければ、お母さんの理想の子どもではなくなる…と、母親の顔色をうかがい優等生キャラを演じ続けていたさわさんが、その呪縛から脱却できたきっかけとは?
<勉強ができなければ、お母さんの理想の子どもではなくなる?>
親との関係に悩む子どもの多くは、親の顔色を気にしています。
私自身もそうでした。4月生まれの私は幼稚園ではクラスの中でも成長が早く、お遊戯(ゆうぎ)会かいでも主役をもらうなど、目立つ存在でした。
今振り返るとその根底には、親が喜んでくれるとか、担任の先生にほめられるのをいつも意識しているところがあったと思います。
子ども時代の私は、母の顔色ばかりうかがっていて、優等生の「いい子キャラ」をつくっては親の評価を気にしまくっていました。
昔から明るい性格で友だちも多かったと自分でも思っているのですが、さきほども触れたように、内面では苦しんでいることもありました。
勉強ができなくなったら、お母さんの理想の子どもではなくなり、親をがっかりさせてしまうと思っていたからです。
実際はそんなことはなかったと思いますが、当時は本気でそう思っていました。
私は大人になってからも、親の顔色をうかがっていました。
浪人をしてなんとか医大に入り、医師の国家試験に合格したときは真っ先に母の顔が浮かびました。
うれしさもありましたが、これでやっと母の顔色をうかがわなくてすむ、母から解放されると思ってホッとしたのです。
研修医の2年目に、国立大の医学部出身の元夫を結婚相手に選んだのは、今振り返れば、「国立大の医学部に受かる」という自分と母の果たせなかった夢が影響していたと思っています。
その後、元夫とはうまくいかず、離婚することになりました。
原因はひとつではありませんが、私と母の共依存的な関係が大きな原因だったと反省しています。
結局、私は医師になってからも、親の期待に応えようとし続けていたのです。
私がようやく親の敷いたレールから抜け出せたと感じたのは、親の猛反対を押し切ってクリニックを開業したときです。
反対する親に、泣いて自分の思いを訴えたのが私の人生初の反抗で、それは人生が変わる大きな転機にもなりました。
このときは母だけでなく、父からも猛反対されましたが、親たちの言う「今は仕事なんかしている場合じゃない。不登校の娘に付き添って、なんとしてでも学校に連れて行くべきだ」という言葉に従うことはできませんでした。