ハワイアンカルチャーの真の後継者。 アイランドスリッパ×コナベイハワイの共演

AI要約

日本の夏に欠かせないアイランドスリッパにコナベイハワイとのコラボレーションモデルが登場。

ヴィンテージ業界でも評価の高いパイナップル柄をリサイクルコットンへプリントしたコラボレーションアイテム。

アイランドスリッパの創業者本永瀧蔵の経歴やハワイへの日本人移民についての背景を探る。

ハワイアンカルチャーの真の後継者。 アイランドスリッパ×コナベイハワイの共演

いまや日本の夏に欠かせないアイランドスリッパにとびきりスペシャルなコラボレーション・モデルが登場した。

コラボレーションの相手は、コナベイハワイ。無類のアロハシャツコレクター、KCこと木内九州生が渡布し、2001年に創業したブランドで、日本で抜染のプリントを施したレーヨンをハワイで縫製する――というアロハシャツ黄金期のものづくりを守っている。

公式サイトによればサザンオールスターズの桑田佳祐やケニー・ロギンスが愛用し、ユナイテッドアローズや伊勢丹新宿店にも並んだ。

このたびのコラボレーションではヴィンテージ業界でも評価の高いパイナップル柄をリサイクルコットンへプリントした。「リリースが大幅に遅れました。当初予定していたレーヨン生地が堅牢度の面で難があり、泣く泣く断念したためです」(ジー・エム・ティー、プレス、三浦由貴さん)

海開きには間に合わなかったけれど、これは欲しい。

なんとなれば、アイランドスリッパもまた、日本人がキーパーソンとなる、ハワイのブランドだからである。

史実によれば、アイランドスリッパは本永瀧蔵(もとなが たきぞう)が1946年にオアフ島で創業した――ということなのだが、それまでの本永の足跡は残っていない。

ハワイ王国は1835年、サトウキビの商業生産に乗り出した。王国は労働力を確保すべくほどなく移民政策に着手する。移民は世界から集まったが、ハワイへの憧れはDNAに刻まれたものだったのか、1902年にはサトウキビ労働者のじつに70%を日本人移民が占めた。

1924年の排日移民法が成立するまでに22万人がハワイに渡ったという(戦中、敵国の移民は強制収用の対象になったが、ハワイの日本人移民はあまりに多く、収容をあきらめたというのはまた別の話)。

敗戦国となった日本の人々の国外移住が認められるのは1951年のサンフランシスコ講和条約で独立が許されてからだ。翌52年のブラジルを皮切りに、アメリカもふたたび門戸を開いた。

以上を整理すれば、ハワイへの移住は1924年から1951年にわたって事実上不可能だった。1946年にアイランドスリッパを創業しようと思えば、本永は戦前に移住した日本人移民の子孫と考えるのが妥当だろう。

ただし、戦後のどさくさに紛れて海を渡った可能性もなくはなく、だとすればドラマチックな物語が潜んでいるに違いないのだが、いまとなっては真相は藪の中である。