「先生は、天国から地獄に落ちましたね」…東大教授から一転、若年性アルツハイマーに侵され”寝たきり”になった夫を支え続けた妻の記録

AI要約

若年性アルツハイマーに苦しむ脳外科医と伴侶の旅路を記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』の抜粋。

病を乗り越え、新たな望みを見つけて人生の旅を続ける姿が描かれる。

認知症への向き合い方や生きる意味を考えさせられる内容。

「先生は、天国から地獄に落ちましたね」…東大教授から一転、若年性アルツハイマーに侵され”寝たきり”になった夫を支え続けた妻の記録

「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...徐々に忍び寄ってくる若年性アルツハイマーの恐怖は今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。

それでも、まさか「脳外科医が脳の病に侵される」などという皮肉が許されるのだろうか。そんな「運命」に襲われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけた東大教授と伴侶がいた。

その旅の記録をありのままに記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。

『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第3回

『「植物状態になったら、延命しないでくれ」…認知症に侵された脳外科医が残した”生前の意思表示”』より続く

「先生は、天国から地獄に落ちましたね」

晋と親しかったある医師が、私にぽつりとそう漏らしたことがありました。天国とは、東大の教授になったことでしょうか。地獄とは、アルツハイマー病になったことでしょうか。だとすれば、世の多くの人も、この医師と同じように考えるかもしれません。

実は晋も私も、かつてはそう思っていました。

「死にたい」

晋はそうこぼすこともありました。

でも、長い長いまわり道を経てアルツハイマー病と向き合えるようになった今、私たちははっきりとこう言えます。

病は人生の一過程にすぎない。たまたまそれが脳の病気だっただけだ、と。

認知症とともに生きていくのは、容易ではありません。でも「認知症になったら人生は終わり」とか、認知症を「恥ずかしい病」などと考えるのは誤りです。

たとえ病んだ身でも、そこに宿る命は神様が与えてくださったもの。であれば、何らかの意味があるに違いありません。精いっぱい生きるのが人の務めであり、そうするだけの価値が人生にはあると思うのです。

沖縄への移住を決めて以降、私たちには実にさまざまなことが起こりました。

定年を待たず、教授職を退いたこと。沖縄でさまざまな人と出会い、支えられたこと。自宅のある栃木に戻り、アルツハイマー病を公表したこと。認知症の当事者として、各地を講演してまわったこと。そして言葉を失い、寝たきりになったこと。

晋は若年性アルツハイマー病の当事者として、私とともに人生という「旅」を続けてきました。この本はいわば、その旅の記録です。認知症に直面し悩み続けた私たちが、何をきっかけにどう変わり、病と付き合えるようになったのか、ありのままを記しました。

老いや死を避けることはできません。でも、人は変わることができるし、新たな望みを見つけて旅を続けることができる――私はそう思います。

わずか一事例にすぎませんが、いままさに私たちと同じ立場で苦しんでいる方が、ここから少しでも希望をくみ取ってくださることを願いつつ書き進めましょう。

『「忘れるようになったため日記をつけることとする」…認知症の夫の部屋で見つかった日記には“病に蝕まれていく日常”が綴られていた』へ続く