モータースポーツの華と絶望 「フェラーリ」に観る「誰も制御できない」凄み

AI要約

TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回はマイケル・マン監督の映画「フェラーリ」について。

龍さんにキューバ音楽を洗脳され、惚れこみ、聴きまくっていた頃の話。メキシコ経由でハバナまで行き、バンドを招聘し、龍さんをプロデューサーに日比谷野外音楽堂でライブまで開催、レーベルも設立してCDを売った。

映画「フェラーリ」では、フィアットやフォードを敵に回し、倒産の危機に瀕していたフェラーリ社のオーナー・エンツォ・フェラーリの人生を描いており、モータースポーツの華と絶望、孤独、快楽、奈落に落ちる絶叫と、人生のすべてが凝縮されたストーリーが展開される。

モータースポーツの華と絶望 「フェラーリ」に観る「誰も制御できない」凄み

 TOKYO FMのラジオマン・延江浩さんが音楽や映画、演劇とともに社会を語る連載「RADIO PAPA」。今回はマイケル・マン監督の映画「フェラーリ」について。

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 村上龍さんにキューバ音楽を洗脳され、惚れこみ、聴きまくっていた頃の話だ。

 メキシコ経由でハバナまで行き(3回も!)、バンドを招聘し、龍さんをプロデューサーに日比谷野外音楽堂でライブまで開催、レーベルも設立してCDを売った。

 日本公演時の彼らアーティストの顔に僕はある種の倦怠を感じた。

 芸術を糧として外貨稼ぎの一端を担わなければならない宿命と、それにしてもなぜこんな極東まで来て演奏しなければならないんだという意識の表れだったのかもしれない。しかし、演奏はやはりもの凄く、連日連夜観客の度肝を抜いた。

 ライブを観ながら龍さんが言った。

「この凄さはF1マシンで公道を走るようなものだ。誰も制御できない」

 映画「フェラーリ」では跳ね馬のエンブレムのついた深紅のフェラーリが甲高いエンジン音を轟かせながら猛スピードのフルスロットルで公道を駆け抜ける。

 熱狂と隣り合わせの死を象徴するイタリア最大の公道レースとは「ミッレミリア」。

 1957年、フィアットやフォードを敵に回し、倒産の危機に瀕していたフェラーリ社のオーナーで、かつてカーレーサーとしてF1界の帝王と呼ばれたエンツォ・フェラーリ(アダム・ドライバー)はこのレースに全てをかけていた。

 私生活でも共同経営者である妻(ペネロペ・クルス)との不和、愛人(シャイリーン・ウッドリー)との間にできた息子ピエロの認知問題で窮地に追い込まれていたエンツォにとって、イタリアを縦断する1千マイルのミッレミリアでの勝利は自らを解放する起死回生策だったのだ。

 ハイライトで起こる大惨事に僕は息をのみ、その後、冒頭の村上龍さんの「(この凄さは)誰も制御できない」という言葉を思い出した。

 モータースポーツの華と絶望。孤独、快楽、奈落に落ちる絶叫と、人生のすべてが凝縮されたストーリーを名匠マイケル・マンが演出。人生を描く重厚さに僕はフランシス・フォード・コッポラの「ゴッドファーザー」を想起した。

(文・延江 浩)

※AERAオンライン限定記事