コーヒーで旅する日本/九州編|正統じゃなくていいと教えてくれる、肩透かしの説得力。「喫茶 銀杏の木」は今日も心地よく

AI要約

福岡市下呉服町にある「喫茶 銀杏の木」は、主役は訪れる人であり、コーヒーよりも交流や会話を大切にする喫茶店。

篠原美波さんが営む「喫茶 銀杏の木」は、店主夫妻が営んでいたかつての喫茶店の屋号を引き継ぎ、家庭的な雰囲気とモーニングセットが人気。

店内には「喫茶でエッセイ」と題した手書きポップがあり、お客がテーマに沿って書いたエッセイを楽しむ取り組みも行っている。

コーヒーで旅する日本/九州編|正統じゃなくていいと教えてくれる、肩透かしの説得力。「喫茶 銀杏の木」は今日も心地よく

全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。なかでも九州・山口はトップクラスのロースターやバリスタが存在し、コーヒーカルチャーの進化が顕著だ。そんな九州・山口で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが気になる店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

九州編の第97回は福岡市下呉服町にある「喫茶 銀杏の木」。福岡市六本松の名店・COFFEEMANにて約4年働き、店長まで務めた女性店主が営む喫茶店だ。使っている豆はもちろんCOFFEEMANのもの。その情報だけ聞くと、いかにもコーヒーを一本の太い柱に据えた正統派の店だと勝手に想像してしまうが、ちょっと違う。もちろんコーヒーにもこだわっているが、あくまで店を構成する要素のひとつでしかなく、主役は同店を訪れる人であり、大切にしているのは交流や会話。店主・篠原美波さんが“喫茶”に込めた想いに触れてみたい。

Profile|篠原美波(しのはら・みなみ)

福岡県福岡市出身。埼玉で暮らした20代前半、喫茶店で読書などを楽しむ時間に居心地のよさを感じ、福岡に戻ったあと、かつて新天町にあった喫茶店「銀杏の木」で働き始める。2年間働き、同店が閉店したことを機に、townsquare coffee roasters(店舗営業は現在、終了)に就職。エスプレッソの抽出技術を磨き、スペシャルティコーヒーの知識を深めた。その後、オープンしたばかりのCOFFEEMANでアルバイトを始め、正社員に。約4年、店に立ち、独立。もともと客として通っていた馬肉料理店の営業時間外を間借りする形で、2020年(令和2年)11月、「喫茶 銀杏の木」をオープン。

■博多旧市街で朝食を

“しのみさん”“しのみちゃん”――、店主・篠原美波さんのあだ名だ。常連のほとんどがその名前で呼んでいるのが「喫茶 銀杏の木」の家庭的な雰囲気をよく表している。店があるのは大博通りから少し路地に入ったマンションやアパートが建ち並ぶ一角。車で通るもそれらしい店はなく、近くのコインパーキングに車を停めて歩いて探す。あった。入口に小さく掲げられた「銀杏の木」の手書き文字。ただ、目印なら「馬焼 ひだりうま」と彫られた木の看板を頼りにしたほうがいいかもしれない。

「喫茶 銀杏の木」は間借りスタイルで、夜営業している「ひだりうま」を借りて、朝~昼過ぎだけやっている喫茶店。朝8時から営業しているだけあって、みんなが楽しみにしているのがモーニングだ。定番のモーニングセットはバタートースト、半熟卵、コーヒーが付いてなんと500円。

「私の場合、モーニングを提供したくて喫茶店をやっているようなもの。福岡はモーニング文化がほとんどないですが、朝から営業している店があってもいいかなと思っていて。実際、一番店が忙しいのはモーニングセットを出している8時~11時ですね」と篠原さん。一番人気を聞いてみると、喜界島シュガーセットだという。早速注文してみる。

コーヒー豆は独立する前まで勤めていたCOFFEEMANのもの。中煎りの「5・0」、中深煎りの「6・4」、深煎りの「7・3」の3種類を用意し、基本的に日替りで豆を使い分けている。たとえば、今回注文した喜界島シュガートーストにはフルーティーな酸が心地よい中煎りをペアリングしてくれた。もちろん普遍的な味わいを大切にしているCOFFEEMANの豆だけにどの焙煎度合いのコーヒーでも、合わせるフードは選ばないが、そのなかでも篠原さん的に好相性だと考える豆をセレクトしている。

「エイジングの状態など、その日ベストな豆を選ぶのが基本ですが、喜界島シュガートーストは優しくて丸みのあるテイストの5・0ブレンドを合わせることが多いです。普通、コーヒーにこだわっている店の場合、豆が選べることが強みになりますが、個人的に理想としているのは、めちゃくちゃコーヒーにこだわってます!というスタイルではなく、思い思いの時間を楽しむことができる空間であること。townsquare coffee roastersさん、COFFEEMANさんで学ばせていただいた専門的な知識もできるだけ活かしたいと考えていますが、やはり私の原点は喫茶店であり、この業界の入口になった新天町の『銀杏の木』。働いた期間は約2年と長くはなかったのですが、マスターとママさんの2人で作り上げていた、不思議と居心地のよい空気感を再現したい。そんな想いもあり、屋号を使わせてただいています」

■自身の喫茶の原点を大切にしたい

新天町にあった「銀杏の木」は、篠原さんが20代前半で働いていた時期に閉店することが決まり、さらに店主夫妻も程なくして亡くなったという。ただ、篠原さんは独立するときには「銀杏の木」の屋号を使いたいと長年考えていたそう。

篠原さんは「いよいよ開業を考えていたとき、店主夫妻の息子さんと偶然つながることができ、ご両親が営んでいた喫茶店の屋号を使わせていただきたい旨を手紙にしたためたんです。ありがたいことに快諾してくださり、『喫茶 銀杏の木』の名で開業できました。余談ですが、入口に飾っている木彫りの看板は新天町の『銀杏の木』のもので、息子さんがわざわざ持ってきてくださったんですよ。townsquare coffee roasters時代によく通っていた『ひだりうま』さんも、もともとただの客だった私に店を貸してくださっていて、本当に人との縁や偶然に助けられて今がある、って実感しています」と話す。

そういうことは本当によくあると私も感じる。その時は些細な出会い、ふとした人とのつながりだと思っていても、後々それが転機のきっかけになるという経験をしたことは少なからずある。ただ、また出会ったときにいい関係性でいられるかはその人次第。そういった意味では篠原さんの親しみやすさ、素直さ、明るさがあってこその「喫茶 銀杏の木」の今だと感じる。

■ペンをとり、想いをつづることで

「喫茶 銀杏の木」は馬肉料理店を間借りしていることから、座敷という喫茶店ではあまり見かけないスタイル。それもあってどこか家庭的な雰囲気を強く感じるのかもしれない。ユニークなのがカウンターや各テーブルに置かれた「喫茶でエッセイ」の手書きポップ。「喫茶 銀杏の木」営業中は店内に多数の書籍が置かれているように篠原さんは大の本好き。「喫茶でエッセイ」もまさにそんな趣味から、ふと始まった同店ならではの企画だ。当初はテーマを設けず、お客に好きに書いてもらっていたが、常連から「何かテーマがあったほうが書きやすいのでは?」とアドバイスを受け、今は2カ月ごとにテーマを設定。たとえば、2024年5、6月は『父のハナシ・母のハナシ』となっていた。

「始めた当初は『誰かが一言でも書いてくれたらいいな』ぐらいの気持ちでした。ただ、皆さんしっかり書いてくれて、お客さまからの反響もすごくあったんです。一つひとつ読ませていただき、テーマごとに装丁する作業は大きな楽しみになっています」と笑顔で話す篠原さん。この取り組みはシンプルだけど、なかなか思いつかない。もし自分がペンをとると考えると、文章にするためにあらためて過去を振り返ることができたり、忘れていた何かを思い出すきっかけになりそうだ。それぞれのエッセイを読んでみると、懐かしい思い出に浸りつつ、微笑みながらペンを走らせる人たちの姿が想像できた。

間借りスタイルで「喫茶 銀杏の木」の営業を始め、丸3年を超えた。

「『ひだりうま』さんのお店をお借りして、靴を脱いで過ごす喫茶店というスタイルにとっても惹かれているのですが、さすがにずっと間借りのままというわけにはいきませんし、やっぱり自分のお店を持つという目標は叶えたいと思っています。今の感じはそのままに、もっと『喫茶 銀杏の木』らしさを表現していきたい。『喫茶でエッセイ』のように、お客さまと一緒に本を作り上げていくことも目標のひとつ。やってみたいと思ったことは、楽しみながらやっていけたらいいですね」と篠原さんは笑顔で話してくれた。

■篠原さんレコメンドのコーヒーショップは「ANTHEM ROASTERY」

「友人と2人でやっているターバンユニット『海と波』のイベントで出会った『ANTHEM ROASTERY』さん。飯塚市にあるのですが、住所や電話番号は公表しておらず、InstagramのDMでやり取りして来店する独特なスタイル。ロースターの古賀さんが焙煎したコーヒーは一言で言うと、キレイで丸みがありスムース。本当においしいです」(篠原さん)

【喫茶 銀杏の木のコーヒーデータ】

●焙煎機/なし

●抽出/ハンドドリップ(三洋産業スリーフォードリッパー)

●焙煎度合い/浅煎り~深煎り

●テイクアウト/なし(容器持参の場合のみ対応)

●豆の販売/なし

取材・文=諫山力(knot)

撮影=坂元俊満(To.Do:Photo)

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