アメリカでは「年長者もまた敬われる」...ノーベル賞学者がアメリカの研究所で学んだ合理的すぎる「貢献への敬意」

AI要約

日本とアメリカの高齢者の意識や役割についての違いについて、山中伸弥と谷川浩司が語り合う。

日本では年齢による敬意の表現が形式的であるのに対し、アメリカでは実績に対する敬意が重視される文化について。

上司と部下の関係と、尊敬の対象に対する関係がアメリカと日本で異なる点についての考察。

アメリカでは「年長者もまた敬われる」...ノーベル賞学者がアメリカの研究所で学んだ合理的すぎる「貢献への敬意」

人生100年時代。平均寿命が上がり続けている現代の日本では、そう遠くない未来に100歳まで生きることも当たり前になっているだろう。そんな時代にいつまで現役を続けられるのか?どんな老後の過ごし方が幸せなのか?医療はどこまで発展しているのか?

ノーベル賞学者と永世名人。1962年生まれの同い年の二人が、60代からの生き方や「死」について縦横に語り合った『還暦から始まる』(山中伸弥・谷川浩司著)より抜粋して、還暦以降の人生の楽しさや儚さについてお届けする。

『還暦から始まる』連載第18回

『かつて「藤井聡太を泣かせた」永世名人が振り返る、今も変わらない「勝負の厳しさ」と変化した「対局への向き合い方」』より続く

谷川日本はこれから高齢化が急速に進みます。山中さんはアメリカに留学されて、いまも月に一回、アメリカの研究所に通われています。日本とアメリカでは高齢者の意識や役割に違いを感じられますか。

山中日本は年上がいたら年上を敬うことが求められて、対等の関係ではなくなりますよね。でもアメリカは面白くて、全然そういう関係性はありません。そもそもアメリカで年齢はあまり語られません。日本では60歳とか65歳で「定年退職」と言われますが、そういう概念がもともとありませんから、アメリカの僕の研究所のディレクターは、僕より10歳以上年下です。本当に元気なにいちゃんなんです。

谷川研究所のディレクターというのは、山中さんの上司に当たるんでしょうか。

山中そうです。僕はアメリカの研究所の一研究員で、研究所にはディレクターの上もいます。その年下のディレクターとの面談では「シンヤ、最近どう?」「いろいろ苦労しているよ」「ラボをときどき見に行って、研究員にちゃんと声を掛けているかい」「いや、ちょっと最近サボっているね」、まぁそんな感じです。

谷川査定されている。

山中はい。この会話は日本ではあり得ないでしょう。

谷川確かに。「年齢は関係がない」とおっしゃいましたけれども、なんとなくアメリカでは「若さは価値」というイメージがあります。

山中確かにそれはありますね。でも、そうやってフランクに話せるというのは非常にありがたい。

谷川年長者を敬う文化はアメリカにもあるんでしょうか。

山中それはすごくあります。日本は敬っているのではなくて、敬っているふりをしているほうが多いんじゃないですか。「年上だから、とりあえず先生と呼んでおこう」と。アメリカは「年上だから敬語を使う」といった文化はありませんけども、「この方はすごく貢献した人だから敬意を表する」という文化はあります。

その2つは別になっていますね。仕事上の上司・部下の関係と、年上でいままでやってきたことに対する敬意とは別々です。日本ではそれが一緒になっていて、敬意が形式っぽくなっているようなところがあると感じますね。