【なぜ賀茂神社は2つあるのか?】京都最古の上賀茂神社・下鴨神社の気になる関係性

AI要約

京都の最も古い神社である上賀茂神社と下鴨神社の関係性について解説されている。遷都前から存在する賀茂神社は、別雷神から分立して御祖神を祀る神社が誕生した。下鴨神社は賀茂別雷神の母神と祖父神を祀ることから、賀茂神社の古い姿を残している。

下鴨神社の鎮座地や境内の特徴について紹介されており、糺の森や清らかな小川などの風景が描かれている。また、古くから存在した神域の姿が今も残されている。

「只州」という名前の由来や、異なる解釈について触れられており、直澄や正すといった意味を持つ語が森や神域に関連づけられている。

 京都というと、遷都後の平安時代以降の仏教・寺院というイメージが強いかもしれない。だが、遷都前からの歴史の古い神社もじつは多く、これらは平安時代以降のイメージに隠されてきた。なかでも世界遺産にもなっている「上賀茂神社」と「下鴨神社」は、京都でもっとも古い神社として知られている。ここでは2つの神社の違いと関係性についてふれる。

*この記事は、『京都古社に隠された歴史の謎』(古川順弘著、ウェッジ刊)から一部を抜粋したものです。

 京都の賀茂神社は上賀茂神社と下鴨神社の2つから成るが、古い時代には上賀茂神社、すなわち賀茂別雷(かもわけいかづち)神社しか存在しなかった。言い換えれば、かつては上も下もなく、ひとつの賀茂神社しかなかった。ところが、のちにこの賀茂神社(賀茂別雷神社)から分立されるかたちで下鴨神社、すなわち賀茂御祖(かもみおや)神社が誕生した――このような見方が、現在では通説的な地位を占めつつある。

 ならば、いつ、なぜ分立されたのか。この問題を探る前に、まずは下鴨神社の祭神と鎮座地を確認しておきたい。

 祭神は賀茂別雷神の母神である玉依媛命(玉依日売)と、この女神の父神である賀茂建角身命。下鴨神社の正称を賀茂御祖神社と言うのは、上賀茂神社に祀られている賀茂別雷神の祖(母と祖父)が祀られているからだ。

 鎮座地は京都盆地北東部の下鴨で、北東から流れて来る高野川と北西から流れて来る賀茂川が合流する地点の北側である。合流地点から下流は鴨川だ。賀茂川を基準に見るならば、上流のほとりに上賀茂神社が、下流のほとりに下鴨神社が鎮座しているということになる。やや余談になるが、2社を併記する場合、ふつうなら上→下の順で「上賀茂神社・下鴨神社」と書きたいところだが、賀茂神社の場合は、祭神の親→子の順で「下鴨神社・上賀茂神社」「下・上賀茂社」などと書くのが通である。

 広い境内は「糺(ただす)の森」と呼ばれる鬱蒼とした原生林に覆われている。ムクノキ、エオノキ、ケヤキなどのニレ科の落葉広葉樹が中心で、森の下を4本の清らかな小川(泉川、瀬見の小川、御手洗川、奈良の小川)が流れている。本社本殿は森を南北に貫く表参道を北に進んだ先にある。

 境内地は、高野川と賀茂川の氾濫によって形成された豊かな土壌をもつ三角形状の州の中に位置している。現在では住宅地や車道に囲まれているが、往古には糺の森がつくる森厳な神域の東西は、高野川・賀茂川それぞれの岸辺にまで広がっていたはずだ。日本有数の古社として知られる奈良の大神(おおみわ)神社が、三輪山を背に、合流する巻向川と初瀬川に囲まれた三角状のエリア内に鎮座していることを考えると、意味深な符合である。

 タダスの名は、この三角州一帯を「只州」と呼んだことに由来すると一般には言われるが、森に湧く清水を形容する「直澄(ただす)」と解する説や、「正す」の意にとって神道的な教義に結びつける解釈もみられる。