『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:』を本気レビュー! なぜ「ぼざろ」は社会現象になったのか? セカイ系と“訂正する力”から見る「ぼざろ」が今に刺さる理由

AI要約

2022年に放送されたTVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を再編集した劇場版の前編『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:』が大ヒットし、ファンが劇場に駆け付けている。作品の魅力や人気の理由を考察する。

劇場版からTVシリーズのオープニングに入り、作品のテーマである「セカイ系からの着地」について解説。現代人の自意識の過剰化と関連性を考える。

セカイ系作品の人気や主人公と世界の同等の重みの表現が、自意識過剰化の要因となっている可能性について考察する。

『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:』を本気レビュー! なぜ「ぼざろ」は社会現象になったのか? セカイ系と“訂正する力”から見る「ぼざろ」が今に刺さる理由

 2022年に放送され、大ヒットしたTVアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』を再編集した劇場版の前編『劇場総集編ぼっち・ざ・ろっく!Re:』。上映館数が約130館と中規模であるにもかかわらず、7日に公開されると週末動員ランキングで首位を獲得。“ぼっちちゃん”や“結束バンド”の活躍を見ようと、いま多くのファンが劇場へ駆け付けているようです。

 かくいう私もぼっちちゃんの自意識過剰な誇大妄想やコミュ障な姿に心を打たれたファンの1人として、ぼっちちゃんの勇姿を見るため早速映画を鑑賞。やはり傑作だなという感想ですが、同時になぜここまで我々現代人の心に刺さるのか疑問も出てきました。

 そこで今回は「ぼざろ」が人の心を打つ理由を、セカイ系との関係や哲学者・東浩紀氏の「訂正する力」などをヒントに考えてみようと思います。

 TVシリーズのオープニング「青春コンプレックス」の冒頭はなぜか宇宙に浮かぶ地球の絵から始まります。地球から日本列島、一軒家、押し入れの中のぼっちちゃんと徐々にズームアップしていき、最後は足が浮いて暗闇の中を漂うという不思議な表現が見られます。いきなり劇場版ではなくTVシリーズの話から入ってしまい恐縮ですが、この冒頭のシーンには「ぼざろ」のテーマの1つが表現されているものと推測されます。

 それはズバリ「セカイ系からの着地」であると私は考えています。セカイ系とは簡単に言えば、主人公やヒロインの行動によって世界が続くか滅ぶかが決定されるような物語のこと。

 1995年に登場した『エヴァンゲリオン』をきっかけにセカイ系は大変な人気を獲得し、2000年代に入ってからも『最終兵器彼女』や『涼宮ハルヒの憂鬱』、2010年代には『魔法少女まどか☆マギカ』や『天気の子』など数々のヒット作が誕生してきました。最近で言えば“あのちゃん”主演で話題の『デデデデ』もこの一群に入る作品です。

 一般的にセカイ系作品は、主人公の命運と世界の命運がイコールで結ばれていることが多く、主人公と世界が同じ重みを持って表現されています。こうした作品が好調だった状況から見えてくるのは、「私=世界」と考えてしまうくらい見る側の自意識が膨張してしまっているということです。では、なぜこれほどまでに自意識が過剰になってしまったのでしょうか?