山崎育三郎 幼少期は“引っ込み思案” 「“僕プリンスかも”って」自信持てるようになったきっかけ

AI要約

俳優の山崎育三郎が自身の幼少期やプリンスと呼ばれる経緯を振り返る。

高輪で育った山崎が野球チームに入り、全国ベスト8まで進むなど、幼少期の思い出を語る。

歌を習い始めたことをきっかけに自信をつけ、プリンスとしての才能に目覚めたエピソード。

山崎育三郎 幼少期は“引っ込み思案” 「“僕プリンスかも”って」自信持てるようになったきっかけ

 俳優の山崎育三郎(38)が29日放送のフジテレビ「週刊ナイナイミュージック」(水曜後11・00)にゲスト出演。自身の幼少期を振り返った。

 お笑いコンビ「ナインティナイン」の2人と自身の地元の東京・港区高輪を巡った山崎。

 幼少期について「高輪で育ったんですけどやっぱり遊ぶ場所とか結構限られてきちゃうので…。昔は野球チームに入っていたのでお台場の方まで来て。6年間高輪クラブっていう野球チームに所属して一応全国ベスト8まで、西武球場で試合しまして本格的に野球はずっと高輪でやっていたんですけど」と明かした。

 さらに、“ミュージカル界のプリンス”と呼ばれる山崎に矢部浩之から「いつからプリンスなの?」と質問が投げかけられた。これに対し、山崎は「プリンスはわりとずっとですね、気付いたのは小学校3年生くらいですかね。“あ、プリンスかも”って」と回答。

 「それこそ僕はもともと引っ込み思案でおとなしかったんですよ、母親がすごくそれを心配して何かこの子に自信をつけさせたいっていうので近所のスクールで歌を習わせてくれて。で、3年生の頃に全国童謡コンクールがあって受けて『七つの子』を歌ったら審査員特別賞をいただいたんですよ。その辺りから歌うのは特別かな、歌うとみんな喜んでくれる。教室でも先生から“育三郎くん賞取ったらしいみんなの前で歌ってみて!”って言われて。恥ずかしくておとなしい子だったのに急に歌い出して自分も開放的になれたんですよ、そしたらみんなに拍手もらって“僕プリンスかも”ってその辺りから思いはじめたんです」と振り返った。