新千円札北里博士の系譜。愛されキャラだった佐藤剛平プロを偲ぶ

AI要約

新千円札に採用される北里柴三郎博士の系譜について、プロゴルファー佐藤剛平との関係が紹介される。

佐藤剛平は北里一族の末裔で、小国銀行を設立した先祖から続く林業家の系譜を持つ。

佐藤剛平はプロゴルファーとして活躍し、幼少期からの師匠である叔父を失った後も、名声を築いていた。

新千円札北里博士の系譜。愛されキャラだった佐藤剛平プロを偲ぶ

今年7月から発行される新千円札に北里柴三郎博士の肖像が採用されるが、その系譜につながるプロゴルファーがいた。

「いた」と過去形なのは、一昨年の22年12月に泉下の客となっているからだ。PGAでも家族の意思により訃報を出さなかったというから、知らない関係者も多かった。そのプロの名前は佐藤剛平。

そして北里博士との系譜を知らせてくれたのは佐藤の甥であり、佐藤の現役時代、帯同キャディをしていた北里大樹氏だ。

「一族の誇りである北里柴三郎が図らずもクローズアップされることになり、叔父の生きた証しを知ってもらいたくて」

北里柴三郎は東京帝大医学部を卒業後、ドイツ留学中にコッホ研究室で破傷風の純粋培養に成功し、抗血清療法を発明した。

佐藤の系譜を簡単にたどろう。佐藤の先祖は北里一族の一員で、肥後藩の総庄屋であった北里柴三郎家の筆頭番頭をしていて、そこから分家した。その総庄屋から明治期に払い下げられた財産、主に小国郷の山林を活用して林業を始めた。それらの資産を運用し、当時の小国銀行を設立したが、その後投資に失敗。

月日が流れて佐藤が誕生している。幼少期に祖父の兄弟である佐藤家に養子に出され、佐藤姓となった。原点である林業は北里家では綿々と受け継がれていて、大樹氏もその家業に就いている。

佐藤は1955年生まれ。九州学院高、関西学院大卒業。身長168㎝で68㎏と小柄ながら、小技の名手として知られた。レギュラーツアーでは優勝こそなかったが、プロ入り5年目の89年にはグローイングツアーで初優勝。以後8勝。

96年には三菱ギャラン、ジュンクラシック4位などで賞金ランク56位となり、初シードを果たした。シニア入りしてからは1勝にとどまったが、上位をにぎわす常連であった。

三菱ギャランで最終日、最終組で優勝したジャンボ尾崎と回ったときのこと。

「バンカーからカップインした叔父をみて、尾崎さんが『やっぱり練習の虫は違うな』とほめると、叔父は『今日は盆と正月が一緒に来たようだよ』と笑っていました」と大樹氏。

佐藤自身は4位タイの大健闘。性格温厚で慕う人も多かった。

女子プロの青木瀬令奈が4勝目を挙げたとき、「幼少の頃からの師が見守ってくれた」と涙を流した。

酒豪で、ツアー宿泊先では記者らとも杯を重ねた。柔よく、その名の通り剛を制した佐藤剛平、遅ればせながら偲びたい。    

合掌(特別編集委員 古川正則)

※週刊ゴルフダイジェスト2024年6月11日号「バック9」より