〝蛙化〟した私も肯定してくれる 「時々、私は考える」は恋する乙女に勇気を与えるバイブルだ!

AI要約

映画「時々、私は考える」という作品が描く、普通の日常の中で生まれる変化と苦悩についての物語。

主人公のフランが、友達も恋人もいない中で生きる孤独と、新たな同僚との出会いによる変化に焦点を当てている。

作品は、普通の人生における試練や苦しみを丁寧に描き、生きることの難しさや相対性を考えさせる。

〝蛙化〟した私も肯定してくれる 「時々、私は考える」は恋する乙女に勇気を与えるバイブルだ!

〝映画みたいな人生〟 波瀾(はらん)万丈な人生をこのように揶揄(やゆ)したりする。でも、私は時々、〝映画とは人生〟という言葉の方がしっくりくる。なにも波瀾万丈なものだけが映画ではないし、人生でもない。ずっと平坦(へいたん)に続く長い時間を、少しずつ少しずつ試行錯誤しながら愛(いと)おしいものにしていく。それこそ人生だと感じさせてくれた映画「時々、私は考える」。

主人公のフランは、空想が好きな平凡な女性。友達も恋人もいなく、仕事場での人間関係が苦手な彼女は、孤独を飼い慣らしながら淡々と生きていた。そんなある日、新しい同僚・ロバートと出会うことで、彼女の日々が少しずつ変化していく。

以前、映画「PERFECT DAYS」の記事でも述べたように、主人公の日々を訥々(とつとつ)と描いた、いわゆる〝日常系〟の映画が個人的に大好きだ。なぜなら、そんな作品こそ〝映画とは人生〟であり、〝人生とは映画〟だなと思わせてくれるから。映画を自分の人生に投影しながら見てしまうのだ。この作品も、主人公・フランの何気ない静かな日常の中で起こる変化を丁寧に描かれた作品。

作中に登場するせりふで「ちゃんと生きるって難しい」という言葉がある。物語のように試練だらけの人生ってわけでもないのに、なんでこんな普通に生きることが難しいのか。このせりふを聞いた時に、そう思ってるのは私だけじゃないんだって心がちょっと軽くなった。

私も不器用な人間だから、〝普通 〟の範疇(はんちゅう)に収まれなくて苦しくなる時がある。でも、その〝普通〟って、結局自分が勝手に作り上げた〝理想〟なんじゃないか。思ったよりも他の人から見たら私って普通に生きられているし、私から見て普通に悠然に生きているように見えるあの人だって実はちゃんと生きることに精いっぱいかもしれない。山あり谷ありってほどでもないけど、大小さまざまな困難がみんなの人生に平等に待ち構えている。この映画は、そんな人生に対する私たちの若干の恐れを粛々と肯定してくれた。