【BAD HOP解散公演ルポ】少年は岐路に立つ(磯部 涼)

AI要約

2024年2月19日、BAD HOPの解散公演、東京ドーム。

彼らの歴史と感動の瞬間が描かれる。

初めての取材からの成長と成功、そして解散公演当日の熱気。

YZERRとT-Pablowの言葉による感動的な締めくくり。

【BAD HOP解散公演ルポ】少年は岐路に立つ(磯部 涼)

2024年2月19日、BAD HOPの解散公演、東京ドーム。

彼らに初めて取材したのは2014年5月、最初のミックステープ『BAD HOP ERA』を自主制作して間もない頃。翌年、自分は『ルポ 川崎』という連載を始め、ぱっとしないライターの自分にとっては珍しくヒット作となった。しかしBAD HOPは、それとは比べ物にならない勢いで売れていった。

「川崎区で有名になりたきゃ/ひと殺すか ラッパーになるかだ」(「Kawasaki Drift」)その後の10年──。

長い列がようやく入り口に辿り着くと、目に飛び込んできたのは血溜まりだった。トイレの手洗場のひとつで水が流しっ放しになっていて、赤く濁った水が泡立つ。その前には若い男性が立ち、鼻から鮮血が流れ出る様子が鏡に映る。彼の手にあるのはかつてティッシュペーパーだった塊。それを絞っては顔にあてるが、とうに吸水力は限界を超え、役に立っていない。経験上、血液の量からしても自然に出たわけではないだろうな、と思う。ただすぐに医療処置が必要なほどの状態にも見えなくて、むしろ彼の、周囲を気にする素振りが痛々しかった。5年半前、日本武道館のトイレの入り口、上下ジャージ姿で脇にセカンドバッグを挟み、両手でタオルを持って直立不動、通りすがりのひとたちにくすくす笑われていた若者の無表情を思い出す。

2024年2月19日。BAD HOPの解散公演当日。朝から空はどろどろとした雲に覆われていて、雨は午後には弱まったが、地下鉄・水道橋駅から東京ドームの前に出た途端、土砂降りになった。全国より一張羅で集まった若者たちが悲鳴を上げ、走り出す。ずぶ濡れで関係者受付に辿り着くと、そこはいかついひとたちでごった返している。人混みの中に川崎から沖縄へ飛んだと聞いていたA君の姿を見かけた。帰ってきていたのか。その時、目の前の男性が受付の担当者に向かって、オレのゲスト枠はどうなっているんだと怒鳴り出した。気を取られている内にA君の姿は消えていた。

ライヴの終盤、BAD HOPのリーダー格である双子の片割れ=YZERRは言った。「オレたち、ほんとガキの頃から一緒で。まさかこんな、東京ドームに立てるなんて思わなかった」。2時間半、熱狂し続けていた5万人が静まりかえる。「最後にひとつだけ言わせて欲しいんだ。なんかいろんなもん抱え込んでる奴とか。クソみたいな環境で生まれた奴とかたくさんいると思うんだよ。『あぁ、オレたちはこのままでは抜け出せない』とか。オレも地元で貧困ばっか見てきて。まともになれた奴なんて少ねぇけど。全員にひとつだけ言いてぇのは。BAD HOPはここに立っているっていうこと。それだけは忘れないでくれよ」。

そして彼は叫ぶ。「オレたちがどっから来たか知ってんだろ!」。歓声が渦巻く中、サウンド・システムのキャパシティを超えた地鳴りのようなビートが響く(*1)。「川崎区で有名になりたきゃ……」。双子のもうひとり、T-Pablowは彼らのキャリアを代表するラインを観客に歌わせる。「ひと殺すか、ラッパーになるかだ!」。ふと思う。さっき鼻血を流していた若者は、川崎から飛んだA君は、いまどんな気持ちでこの光景を観ているのだろう。あるいは5年半前に武道館のトイレの前で見かけた若者はここにいるのだろうか。

(*1)https://www.youtube.com/watch?v=iBK7YR6TZpU