東出昌大が考える“愛”の定義「『好き』という気持ちは、恋愛だけじゃない」

AI要約

相談者は自分が好きという感情がわからず、恋愛関係が長続きしない悩みを抱えている。

東出は愛や好きという感情は恋愛だけでなく、友人や家族、ペットに対しても表れるものであると指摘する。

恋愛については理解できない部分もあるが、相談者の悩みに共感し、より深く考えて対話を続けることを望んでいる。

東出昌大が考える“愛”の定義「『好き』という気持ちは、恋愛だけじゃない」

この人生相談連載「赤信号を渡ってしまう夜に」では、価値観が流動化し対話が難しくなった現代に「こんな時代だからこそ、もっと話したほうがいい」と語る俳優・東出昌大がお悩みを読者から募集し、応答していく。

今回は3本立て。「好きという感情がわからない」や「愛犬との別れが辛い」という相談には、東出の考える愛や、愛の伝え方を明かす。

また「結婚願望がない」という相談には、悩みの内容を整理しながら、その根底にある問題について紐解いた。

<Letter No.15

人を好きになるという感覚がよくわかりません。好いてもらって男性とお付き合いしたことはありますが、自分がのめり込めないので温度差が生まれてしまい、そこに罪悪感を抱いて結局長く続かず別れてしまいます。

いいな、くらいに思う人はいても、それはあくまで私が望むべき条件に当てはまっていたからで、本能的に惹かれたわけではないこともわかります。好きって気持ちは性欲と執着の塊なのかなと考えることもありますが、そういう欲が抱かない相手とは一緒にいてもな、とも感じます。

とある対談で、東出さんが「恋は落雷みたいなもの」と仰っていたのがとても印象に残っていて。人を好きになる感覚、ってどのような気持ちなのでしょうか。また、東出さんは恋や愛の違いはどのように考えていますか。>

東出 この方とは、もう少しやりとりを続けてみたいなと思いました。

「好きって気持ちは、性欲と執着の塊なのかなと考えることはあります」。これなんですが、たとえば僕は、今まで飼ってきた犬たちのことも、ものすごく愛おしく感じていました。種族は違うし、そこには「性欲と執着」はないけれど、大好きという気持ちがあった。この相談者さんはそういう気持ちも今までになかったんだろうか。

「好き」という気持ちはなにも、恋愛だけじゃない。友人に対しても、ペットに対しても、家族に対してだって沸き起こるはず。だけど、相談者の方がもしこういった「好き」も含めて身に覚えがあるのか、ないのか。そこが気になりました。

──「恋は落雷みたいなもの」についてはいかがですか。

東出 その言葉は、有働由美子さんとの対談記事に書かれたものだと思いますが、「 恋は落雷みたいなものらしいので」というつもりで言ったんです。「僕もまだ落ちたことない」という感じで。

──そうだったんですね。

東出 僕には恋はよくわからん。が、大人に対しても子供に対しても「うわ、愛しい」と思ってきたし、それは動物に対しても沸き起こる感情なんです。その「愛しい」っていう感情を、どうやら世間は「好き」とか「愛」だと定義しているらしいと、漠然と思っている感じですね。

僕が勝手ながら思ったのは、この相談者さんは「好きがわからない」ことで、どうやって生きていったらいいのかわからないところまで思い悩んでらっしゃるのかなと。だからもう少し話を続けてみたい。なので、今回の僕の話を踏まえて思ったことをまた送ってもらえたらと思います。言葉にするのはなかなか大変かもしれませんが。